『宝塚、この西谷に新首都構想が』No.3463

                           宝塚、この西谷に新首都構想が


 いやあ~、これっては凄いことじゃない!
 なんと、この宝塚(西谷)が「新首都構想」候補になったのですから。
一九九七年の朝日新聞
「遷都、宝塚にまかせて!」「スミレの花咲く首都」
という題で、一面記事に載ったのです。
首都を、東京から宝塚へ。しかもこの西谷へ。
全国一〇程の候補から関西においては、当時の学者の方々は宝塚を選んだのです。
凄いことです。

でも、どうして首都候補に宝塚・西谷が選ばれたのでしょうか?それを考えてみたいと思います。
 まず第一に、「抜群の地の利」です。大都市に近いということです。大阪にも、京都にも、神戸にも近いのです。二〇~四五キロメートル内にありますから。交通路では今、新名神高速道路の宝塚北スマートインターチェンジもできました。京都や大阪は一時間以内で行けます。
 第二は、「かなり低コスト」(他の候補地に較べても)で速く遷都が可能になるということです。 宝塚北部は、県有地(かつて新住宅地構想があって県に買われた山間地。現在塩漬け)が多くあって、最低限の開発で、しかも環境にやさしい移転になります。

 第三は、「首都大震災にも対処できる」ということです。阪神淡路大震災のエネルギー放出で、今後、大地震の可能性が低いということです。この西谷は岩盤が厚いと聞いていますし、あの一九九五年の大震災時の揺れもとても少なかったのです。二〇一一年の「三.一一」を経験したことから一〇箇所程の他候補地は大震災や津波などから考慮すると、消去される所が多いようです。この日本列島に住む私たちは、「災間に生きている」のですから。
また来るであろう南海トラフ大震災の疎開先のひとつにしてもいいくらいです。先に触れましたように地の利があるので、震災復興の拠点地にも役立ちます。そういう意味では、少し前に断ち切れになってしまった「道の駅:宝塚北 西谷」を再考してもいいような気がします。
第四は、「日本の首都は歴史的に東西交代」がありました。天皇陛下も、実家の京都御所に戻ってきていただいていいのではないかと思います(かつての関東大震災のような東京首都圏大震災の心配もしなくてすみます)。
 第五は、「宝塚という独自の文化」が生まれたところでもあります。宝塚歌劇を筆頭に、東京に並んだ宝塚映画、植木、シャンソンが日本で初めて歌われた宝塚、中山寺清荒神宝山寺などの古いお寺、近場に甲子園球場、・・・・等々、宝塚文化はいまなお健在です。

 以上、一九九七年の関西の学者の方々による遷都構想は悪くはないでしょう。新名神高速道路SA「宝塚北」の売り上げは、西日本一のところでもある宝塚北・西谷は新首都にふさわしいとてもいい条件を満たした所だと思います。ただ、当事の条件を満たしてないものが一つあります。それは、「東京から鉄道で二時間」という点です。しかし将来、AIによる第四次産業革命が起これば、その条件もクリア(かなり高速のリニアモーターカーや空飛ぶ交通網など)されるに違いありません。

自然の中にあって、自然につつまれた日本の首都、宝塚。AI,テクノロジー席巻の時代には、生命体(動物)であるヒト科の「ヒト」は、「ヒト」である限り「自然」に回帰したがります。第四次産業革命では、相応しい首都です。夢にしておくのはもったいないです。