『よりあい ー地域に愛されて』No.3436

・・・・・・    よりあい
・・・・・・ 地域に愛されて

冬の薄暗くなった寒空の下にある田園地帯。黒い家影が点々と並ぶ境野の道沿いに、妙に懐かしく、つい魅き込まれそうなほの赤い灯りがともっている。その灯りに誘われてのれんをくぐると、そこは、楽しい語らいと美味しい食のファミリーな世界であった。
「よりあい」。
ここは地域西谷に愛されている鮮魚・仕出しの飲み屋さんである。

営んでおられる方は、細見正継さんと奥さんのママ、文子さん。そして娘の理絵さん。とっても仲のいい家族の方たちです。三女である理絵さんはこの西谷の大原野西部に住んでおられます。奥さんとは今でもラブラブな感じ。縁あって、岡山県から宝塚に来ていた(当時あった宝塚映画製作所に勤務していた)文子さんを見初められたのです。結婚四七年目。
お客さんもファミリー、仲良しというか常連さんが多い。

 「ずっと武田尾に住んでいたんやけど、この前(二〇一五年)の武庫川の水害にやられて、家は全壊ですわ。」「あれから家が無くなって、しばらくこっちの教員住宅を借りていたんですが、今やっと住んでいた武田尾に家ができつつあって・・・(一二月号で武田尾復興特集をしましたが、細見さんが今度被災地のリニューアル地に入って四軒目)今年中には建つので何か出来そうですわ。」と嬉しそうに語られる。(以下、細見さんの声で)

 この「よりあい」、よくもまあここまで続けて来れましたわ。もう三六年目やな。当事の武田尾は賑やかやった。母は武田尾に来たお客さんに料理した魚を食べてもらうのが喜びやったなあ。そんな母を見ていた私も魚が大好きになり、「みんなに魚料理を食べさせてあげよう」と決意しましたんや。私はお母さんっこでしたんや。母がやっている料理を、見よう見まねでするようになって二〇歳で後を継ぎ、武田尾温泉の旅館(紅葉館など)等に仕込みをさせてもらいました。「よりあい」は、スナック(カラオケなどの)から始めたんやが、魚料理をみんなに食べてもらいたい思うて一八年後に居酒屋に変えました。

四年前に、ここが燃えましたんや。料理の仕込み中に火を出してしもうて調理場や食事場などを燃やしてしまったんですわ。それで、「もう、辞めよう」と思っていたけど、辞められへんた。地域の仲間が、四〇人程が「辞めたらあかん」言うて、作り直してくれよった。嬉しかったなあ。「このよりあいはほとんどみんながつくったんや」

「今日は夜中の三時に起きて、用意して大阪の魚市場まで仕入れに行きました」。もう七三歳になるのに元気、げんき。そんな細見さんがつくってこられた、美味しい魚料理が
食べられる、地域の方々の寄り合いの場である「わしはゴンタやった」と何度も言われた。そんな細見さんがつくってきた「よりあい」が地域の方々に愛されています。「わしは悪運が強いんかな」