『どこも子ども みな詩人』言葉の展覧会1562

aiueokaki2013-03-03

無知だけれど無垢
単純だけれど純粋
未熟だけれど実宿
どこも子ども みな詩人
原初のヒトを内に持ち
野蛮だけれど野生
残酷だけれど懺告
どこも子ども みな詩人
大人の鏡だけれど
鏡をにらむ
割ることだって
歪んでも直せるパワーと
他者と共に歩めるやさしさを引き出し
地球のかけがえのない生き物のひとりとして
育つことだ
どこも子ども みな詩人
切り開ける
未来をもってる
どこも子ども みな詩人




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        子どもの詩を読む視点


 久しぶりに子どもの詩を読ませてもらった。しかも小学校1年生から中学校3年生まで。かなりの数があり時間が相当かかったが、とても楽しかった。食事をとるのを忘れるくらいだったからたいへん集中していたに違いない。知らないうちにフーンとか、オオッとか、ハハハハとか声を出しながら選考はそっちのけで読んでいた。読んでいるうちに、子どもの詩を読む視点が6つばかり見えてきた。

 一つ目の視点は、子どもそのものの面白さだ。原初的なヒトという生命体の面白さと言い換えてもいい。5千年ほど前にヒトは言葉を発明したそうで、今それを使うのがあたりまえになっている。個体発生は系統発生を繰り返すと言われるとおり、子どもが幼なければ幼いほど私たちヒト(祖先)が言葉を使いはじめた頃を想起させる。そこでは子どもが使う言葉が、初めての発見や体験の驚きや喜びにリンクする。

 子どもはみな詩人だと言われる。子どもの吐き出す言葉が、大人の常識をやぶり、意表をついていたり、体裁や偏見や虚飾を剥ぎとったりする。それは良くいえば、無垢、純真、純粋なこころでものや人を見ているからである。悪くいえば、無知、単純さ、視野の狭さ、幼児性等の表われともいえる。でもそれらは子どものもつ原初性ゆえであるとぼくは考える。原初的な表現は、齟齬になったり意外性をもたらしたりして面白い。
 もうひとつ、子どもそのものの持つ野生がある。それは野蛮といっていいし残酷さといってもいい。それが短く書かれたもの(短詩型文)のなかに表われたときは、ドキッとするものがある。それは詩とされず、落書きのほうに追いやられるので日の目をみない。良い野生ならいいが、人類の弱肉強食で勝ち抜いてきた暗黒の部分も見なければと・・・。

  あともうひとつは、あそびである。「遊びをせんとや生まれけむ 戯れせんとや生まれけん 遊ぶ子供の声きけば 我が身さえこそ動(ゆる)がるれ」という言葉があるように、まさに子どもの子どもらしさは「あそび」にあるとおもう。子どもはあそびやごっこを通じて、人やものとの関わり方や見方を学んでいくのではないだろうか。あそびは人間性を培い、人生の豊かさをつくり、成長をもたらしていくにちがいない。大人になっても持ち続けている遊び心が、アイディアや創造をうみ、社会関係を円滑に楽しくしていく。ある意味では今あるスポーツや芸術、芸能等は、生き伸びる衣食住生活(生存)以外の余剰を埋めるあそびの変調ともいえるだろう。子どものあそびの詩は、人の文化の遡及である。
 なにはともあれ、子どもがそなえる原初性にはとても輝くものを秘めていて、それを書くという行為によって表出して交流し、共有し、内省し、そして楽しむことができる。
その輝きは、年少になればなるほど光り輝くものが多いが、学年が上がっても持続してもちつづけ育てている子もいた。学級や学校で育てるなら、なお素晴らしい。

二つ目は、子どもの生活(暮らし)という視点である。
 かつて生活を見つめて書く、生活綴り方運動があった。家族や自分の暮らしをしっかりと見つめ、綴っていくことによって自分を見つめなおし、それらを共有し合って変革していくというものだっただろうか、記憶に乏しい。子どもの見つめ方は原初性でみたようにまっすぐである。純粋な見方である。それが短い詩だから余計にズバリと的をついているものがある。大人の矛盾も見栄も虚飾も見透かされる。それにしても、母や父、それから兄弟姉妹、そして祖父母との関わりの詩はなんとほほえましいのだろう。身内にくるまれたあたたかなほほえましさだ。「ほめられると心の中にお花が咲くよ」(小二)など読んでいると、あったかい家族の光景が浮かんでくる。生活を見つめて詩や文を書き続けることで、人やものを見る目、社会を見る目が育っていく。
学校での生活は、家庭と違って、他者が多く増えたぶんだけ少しシビアになる。ここでは規律や協力、助け合い、けんか、いじめ、責任、自由、友情等といったテーマが出てくる。家庭ではほほえましかったけんかも、いじめや暴力等に発展する。先生や友だちを書くことによって他者を知り、痛みを味わい、他者との関わり方を考え、社会性を身につけていく。学年を追うに従って、自分を客観視した社会的な詩が多くなってくる。描写力の鋭さや表現の豊かさが見られる詩は、そのまま観察力やこころの豊かさとなって生き方につながり、大人に近づいていく。

以上、子どもの詩を読む二つの視点を自己流に書いてみたが、あと「感性・想像力・変容」の視点、「思考・見る目」の視点、それから「希望・夢・未来」の視点、そして詩にとって(人間にとっても)大切な「言葉・詩」の視点を考えている。それらはまた次の機会に述べたい。
とにかく、子どもの詩は面白く、楽しかった。読んでいるときには、自分の中に子どもがいた。



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※今日は、神戸にあるラッセホール(「ひょうご芸術文化センター」)で『こどもの詩と絵 第33集』表彰式・発刊記念集会に選考委員として列席した。親ごさん等も加わって750名の集会だった。子どもの詩や絵はスゴイ。凄いパワーがある。感動した1日だった。
※上記は『こどもの詩と絵 第33集』に書かせてもらった拙文である。