『もう3年、まだ3年』言葉の展覧会1715

aiueokaki2013-12-02

ぬるま湯の退屈から



でべそべそべそ
たたいた たいた
らくらく くらくら
めんめめめめめ めがまわる



はみ出す楽しさ
常識を破る爽快さ
間違う魅力




    (「詩とは4」)






ぼくら、広Vo連(宝塚広域ボランティア連絡委員会)は、12月8日(日)13:00〜15:00 に宝塚ぷらざこむ1(3Fフリールーム)で、「ワンコインチャリティコンサート」をしたり、パネル展示、東北物産販売(売り上げ全額支援)をしたりします。

以下、そのパネル展示の言葉です。11月に東北・被災地へ行ってきたときのことを3枚のパネルにしました。写真付きですが、写真の一部は11月6〜8日のおかき日記に載せています。(エノモト・文)
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・・・だんなも死んで子供も死んで私一人なんで生きているのかわからない。
                        (交流会にて)
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平成の森公園。ここにある宿泊施設に私たちは泊まりました。
山の上にあるりっぱなスポーツ施設合宿もできるきれいな建物です。
サッカー場に沢山の仮設住宅南三陸町で一番大きな仮設住宅村です。
・・・かろうじて野球場は残すことができた
・・・皆で体を動かせるグランドも必要なんだよ
・・・仮設にお住まいの半身麻痺のだんなさん窓から手を振ってくれました。
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宮城県社協に里親会を訪ねました。
気仙沼の里親は被害に遭われ里子を手放し移転されてしまった。
震災で不幸にも孤児となってしまった子供たちは親族里親に引き取られています。
・・・家族を亡くした遺族には多額のお金が渡され、一人残った高校生に家族7人分のお金が入ることで養育してもらっている親族とトラブルになる悲劇も。
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・・・海は私からすべてのものを奪っていった。けれど海の恩恵を受けて海と共にいきるんだ。
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銀色のドームの屋根が光る大競技場、震災の2日前  ここで演歌の大御所が勢ぞろいの大演歌ショーが開かれました。奇しくもその日地震が起こり津波警報が出て騒然としたそうです。しかしその時の津波は50センチだったそうです。
・・・あの大きな会場に入りきれない遺体が並んだのよ。
・・・あの50センチの津波に皆、安心しちゃったのよね。
・・・だって、わざわざ海に見物に行って沢山の人が流されたんだもの。
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テレビでも盛んに報じられた住宅は高台に移転しなくてはいけないんだ
・・・山を持っている人は先祖さまの山は売りたくない。
・・・高く買ってほしい。
・・・防潮堤の建設をしなければ、土地の値段は0円に。
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南三陸町では20メートルの防潮堤が必要だ、造らなければと計画されている。
・・・そんな物ができて海の仕事ができるわけない。
・・・北海道のどこかの沿岸部でそれをやって(高い防潮堤で村を囲って)結局海が荒らされゴーストタウンになったじゃないか。海は山の恵みによって生きてるんだ
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・・・僕たちの村では堤防は作らないことに決めたんだ。作業所を25メートル下げて作り地震がきたら走って皆で裏山に逃げる。
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女川町 知らなかったのですが、ここにも原発があるそうです。
・・・地震の次の日の朝、空気がピンクで、もしかしたら漏れたんじゃないかと町中で噂したのに、どこも報道してくれなかったよ。
・・・たしかにピンクだったよなあ。
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新聞記事になった、逃げ出した病院長とひとり傷病者を受け入れ続けた婦長さんのいた山の中の病院。川を逆流し津波がおそいました。
・・・5歳の子供を抱きかかえたまま流されたお母さん、途中で手が離れ自身は助かりましたが、子供は死体で見つかりました。
・・・病院長は外付けのオイルタンクに摑まってながされたそうです。彼が逃げたのには理由があったそうです。神戸で震災にあい逃げてきてここで又津波に流された心の傷はどうにもできなかったようです。
・・・今この病院には隣の県立病院からの派遣医師達2人で治療にあたっています。
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仙台空港から車で1時間のあたりに住む知人
・・・何にもなくてねえ。30分で空港までついちゃうのよ。天気の良い日は海岸の松林が見えるのよ。びっくりしちゃうよ。暗くなるとこの道は怖くて走れないのよ。何にもなくて、どこが道か分からなくなっちゃうんだ。
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松島も南三陸町気仙沼も海岸線は1メートルの地盤沈下をおこしている。
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南三陸町復興さんさん商店街
・・・寄贈されたりっぱなモアイ像が建ちました。
・・・今はいくらをいっぱいお腹に持った鮭がたくさん水揚げされるよ。
・・・美味しいものが沢山あるよ。食べにきて。
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テレビの映像で流れたように気仙沼は、大きな洗濯槽のように渦を巻いて津波がおしよせました。
・・・大島があったおかげで津波は6メートルだったんだけどね。
・・・船の給油のための重油タンクがいくつも流され押し寄せて火事が起こったんだよ。
・・・この橋の上には津波を見ようと沢山の人が集まっていてみんな流されちゃった。
・・・流されてこっちの橋にしがみついていたお父さん少し離れたところで同じようにしがみついていたお母さん、お母さん手が離れちゃって流されていく時お父さんに向かって笑いながら手をバイバイ・・。
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海べたの地福寺
・・・僕が避難所に言ったら生きとったんかいな、流されて逝ってしもうたと聞いたで。
・・・あそこの高台に皆登ったんだけど、余りに寒くてビニールハウスの中に入っちゃって、気がついたら水が押し寄せていてそこにいた98名全員流され、遺体が見つからない人もいる。
・・・この地福寺の檀家177名がなくなった。
・・・和尚さん「めげない、にげない、くじけない」
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気仙沼復興屋台村
・・・期限は2年という約束でしたが2年半を過ぎても、何も変わりません。
・・・今日の牡蠣はもうちょっと上の岩手産です。まだ、気仙沼の牡蠣は小さくて。
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山の中の小さな川
・・・この上には廃液処理場があって地震で漏れてたいへんになっている。
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歌津 希望が丘グループホーム精神障害者グループホームでした。入所者の負担金は月55000円どうしても赤字になると言われてました。
・・・大分お年を召されている入所者さんに聞くと20年位船に乗っていた。おれも。おれも。
・・・今は近くの作業所でお仕事されているそうです。
・・・皆さん静かに仲良く暮らしておられました。
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志津川のぞみ作業所。2回目の引越し先で。現在は仮設。次は向こうの山に病院ができてその裏に建ててもらえる予定だそうです。
・・・牛乳パックなどのパルプを使い 名刺作り はがき作り モアイタオルの販売をしてます。
・・・職員は1人に月5000円は賃金が払えるように頑張りたい。
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案内してくれたバスガイドさん
・・・私は母の病院でたまたまお風呂が遅くなっちゃって地震の時は病院だったんだけど、行方不明になってたのよ。
・・・家族が無事生き残ってごめんなさい。家が残っててごめんなさい。
・・・自宅から自治会の炊き出しを手伝いに行く途中に岩手ナンバーのトラックに気がつき覗いてみると若い兄ちゃんの運転手がTシャツ姿でうずくまっていて、聞くと地震のあった日から丸4日飲まず食わずでいたという、それから一週間地元の方と自治会館で過ごし無事帰ってきました。
・・・よそから来たボランティアさんの世話をしました。ボラボラですね。
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一人残された高校生
・・・二度と海は見たくない。
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地福寺の下にある高校の卒業式で
・・・僕達は 天を憎みません。
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あの時は皆どの人もあの時の悲しいドラマを持っています。




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