『外からの詩』 言葉の展覧会1127

気持ちとしての義援金を送ったからといって
少しボランティアに行ったからといって
節電し続けているからといって
できないないことがある
できるものでもない
わかるものでもない
16年前の大震災の体験を持ちだしたって
・・・
あのとき
あの地を想えば
ぼくは「私」になる
一緒に川におぼれる「私」
濁流の中にいる
詩を編む
・・・
道が見えない
これからの私の歩む道が
一歩も踏み出せない
語れない あのときの、あの・・
・・・
妻を亡くし
子どもを亡くし
家は流され
ひとりぼっちになった
あの頃の楽しかった家族の夢をよく見る私
職も失い
なにもかもみんな無くなって
腑抜けになった私
・・・
道が見えない
これからの私の歩む道が
ひとが道を見つけてくれるが
一歩も踏み出せない
道が 私の歩む道が見えない
・・・
「私」はぼくにもどって
想像力を鍛える
また詩を書く
でも詩の力なんてあるのだろうか
・・・
濁流に一緒に入り込んで
溺れながら詩をつくる
ことなんてでき
ない



※あの3.11以降ぼくは、大震災に関する報道はできうる限り視聴し、記事はほとんど読んでいる。また、震災や津波災害の写真集や雑誌などを20冊ぐらい買った。想像力を鍛えるためだ。昨日の鷲田清一さんの「あれから3ヶ月」ー<隔たり>は増幅するばかり 寄り添い、語りなおしを待つー(朝日新聞2011.6.11)に感銘を受け、この詩をつくった。