ああ、小さな島の取り合い

ところで、主体は個体には存在しないのですが、やっかいなことに頑として主体たる国家や民族は個体に存在するという人たちがいます。これは不幸の始まりです。国家を自分と同一化してしまって、国家のためなら他国家の人を殺してもいいとか、国家に自分の命を惜しみなく捧げてしまうということになるのです。かつてこういった思想がどれだけ人を不幸にしてきたかをもう一度考え直さなければならないと思います。


最近の国家間のきな臭いニュースを聞いていたら、再び歴史の教訓に学ばなければならない時来る、です。いったい、国家という線引きをする人は誰なんでしょうか。この小さな島は私の国家のものだ、いやおれの国家の領土だ、やれ「竹島」だ、やれ「独島」だとか、なんて。これに付き合わさせられ動員させられる者はたまったものじゃありません。誰か偉いさんの所有欲望に付き合いたくありません。どちらの「国民」さんも、ええかげんに古臭い20世紀ナショナリズムから脱却しなけりゃね。テレビや新聞等のマスメディアの報道も扇動的にならないよう冷静に。そんな人間もろくに住めない島は、外交努力して、人間以外の魚や鳥たちの島に戻してやったらいいのです。人間の好きな言葉「平和の島」として。