『さようなら、私の本よ!』〜大江健三郎(2)
大江健三郎の『さようなら、私の本よ!』を読んだ。前半は老人の繰り言を聴いているようで読むのを放棄しようかなと思ったけれど、後半は断然面白くなって飯を食べるのも忘れて読んでしまった。「チェンジング3部作」の完結編である。ぼくは、『取り替え子』も『憂い顔の童子』も読んでいないが(家で積ん読しているが)この『さようなら、私の本よ!』は1冊でも十分に読み応えがあり、大江のメッセージが優しく過激に伝わってくる。
大江健三郎は71歳になった今もなお健在であり、読者であるぼくの読書欲を充たしてくれる。そして現役でアクティブに活動するかれの生きざまそのものがとてもぼくの心を魅了する。
書評はたくさん出ているので、気に入った言葉を箇条的に抽出し、コメントしてみる。それはこれからぼくが生きていくうえでのひとつの糧ともなるだろう。
1.今日の壊れてしまった人間たちのなかで
・市場マネーゲーム、競争・効率、「正義」を振りかざす無差別大量殺戮としての戦 争、大国による巨大暴力とテロ、止まない軍核づくり、環境の大破壊、・・・・ 等々、世界中に広がる「敵対関係」や「憎悪」、そして「暴力」。それらの浸透のな かで人間は壊れていく。言葉を使う人間が見事に壊れていく。言葉を使う人間だから こそ壊れるのか。
・壊れている人間に絶えず警告を発し続けよう。
2.自分自身の「内なる暴力」と「人間の滑稽さ」を見据えて
・自身のなかにもある破壊衝動、暴力・・・
・自らの内なる暴力を隠蔽し、忘却するものは何か。
虚偽・隠蔽 → 忘却 → 自己正当化 → 美談にすり替え・利用
3.人間が壊れていく「分岐点」に戻れ! その「徴候」を集めよ!
・人間が壊れていく「分岐点」(「徴候」)があるはずだ。その「思い込み」の「分 岐点」(「徴候」)はいつなのか、どこでなのか、なぜなのか。
・出来事(事件、問題)以前に、微細な前兆(「徴候」)を集めよう。
・すでに壊れてしまっている人間たちにも・・・
・記憶の質が問題で、思い込み(正当化)の分岐点に戻れ。
4.「老人は『愚行』をすべきである」
・「もう老人の知恵などは聞きたくない。むしろ老人の愚行が聞きたい」
(T・Sエリオットの詩)が基底で響き続けている。
・老いを迎えた自分の生き方を真正面から見つめて、死を意識し、
アクティブに生きる決意がみなぎっている。
「10年後までには生きていない・・・」
「老年になって、かえってその時代の芸術や社会についての通年に逆らって
仕事をする、発言をする人たちがいる。私は小説において、それをやる老人
でいたいと思います。
(E・W・サィード『後期のスタイルについて』の校正刷りを読んで)」
・「老人は探検者になるべきだ。現世の場所は問題ではない。
われわれは静かに静かに動き始めねばならない」(T・Sエリオット)
5.クライマックスをアンチクライマックス(「尻すぼみ」)として拒絶せよ!
・断言、完成、自己完結、ハッピーエンド等はうさんくさい、アンチの思考をしよ う。
6.絶望はまだはやい、言葉を使う「壊れた人間」に「恢復の言葉」を吹き込め!
そんな再生言葉を捜し続けたいと「希求」(invocation)することを選んで行こう!
静謐にして過激、滑稽なほどの過激
言葉の力の恢復を、静かに静かに
以上。