はてさて、新年が

aiueokaki2006-01-01

また新年がやってきた。
この「また」という言葉には、「えっ、もうこんなに速く」という時間経過速度の速いことへの驚きと「やれやれ、しようがないなぁ」という歳をとることの諦めが交錯している。歳はとりたくないが生き物である以上、仕方のないことである。

2006年である。
21世紀に入ってなんだか、人類絶滅の予感もしてきた。ここで滅びたら、恐竜の時代の長さに比べるとヒトの時代の長さは足下にも及ばなくなる。


グローバリズム、世界資本主義、市場原理主義、宗教原理主義ネオコンが世界支配の本潮流となってきた昨今であるが、この日本列島にも旋風を巻き起こし、どうも住み辛くなってきた。倒産、リストラ、正社員ーパートー派遣社員ーアルバイト等の分別化、そしてニートや自殺者、鬱病の増加、凶悪犯罪、右翼の台頭・・・。新しい世界像が提示されないまま冷たい風ばかりが吹いている。


上記潮流の中で、「信頼」、「安心」、「安全」の土台がどんどん崩されていっているのはとっても辛い。それらを取り壊しつつあるのは、「競争」「効率」「能力」「成果」「自助努力」「自己責任」等という言葉に代表される市場原理を推し進めようとする新自由(保守)主義である。この冷徹な主義遂行貫徹は、必然的に「監視社会」「セキュリティ社会」を生み出す。信頼や安心を崩壊させれば、監視や徹底した管理で社会を維持するしかないからだ。そしてネオリベは「格差社会」をもたらす。競争や成果主義一点張りの効率化した格差社会は冷酷さを一段と増し、あちこちに虚偽が出現する。あのマンション建築偽装事件は氷山の一角である。その虚偽の延長線上にJRの大事故があるのでは。


下流社会が到来した。今から思えば、かつての1億総中流化の時代が懐かしくとても牧歌的な時代に見えてきた。つい最近のことなのだが。社会の変化は加速度を増している。この下流社会は今は貯蓄の余力があって脛をかじって今日を凌いでいるが、後何年か経つと歴然と格差が開いて貧困化し、働きバチのように働いても何の報いも得られない層を作り出すのではあるまいか。


そういった層、あるいは大衆は、抑圧され疎外されたなかで生きづらい日々が続き、次第に欲求不満が貯まり、どこかにカタルシスを求めるためカタストルフィーとして英雄や独裁者を求めるようになる。この日本も、批判している北朝鮮に似通ってきている。わからないまま現イデオロギーが内面化し、動物のように快適に飼育され、もはやそれが支配されていることが分からなくなってきているのではないか。


他人(他者)には全く耳を貸さず我を通し、自分の欲望だけにはとても忠実で、セキュリティには敏感で、強い者に見守られながら快適に、それなりにちゃんと自己決定していく・・・


等々、世相を見ていると今年も生き辛い1年になりそうだ。