あの時 戦争は止められた!

aiueokaki2005-08-05

毎日テレビで、戦後60年特別企画の3時間番組を観た。タイトルは「”ヒロシマ”ーあのとき原爆投下は止められた」
息を詰まらせながら、涙を流しながら、なぜあの時止められなかったのかと憤りをおぼえながら観た。
「60年間、健康だった日はない」(毎日新聞)、「今なおPTSD」・・・、原爆心身の傷深く・・・。新聞を見ると、こんな記事が目に入る。明日はヒロシマに原爆が落とされて60年目になるのか・・・。
被爆者の方はつらい思いを泣きながら語る。思い出したくない、でも今語っておかなければ、今なお心は引き裂かれている。ぼくはこれまでヒロシマへは数回行ったことがある。平和記念館や資料館の展示を見るたびに胸が張り裂けそうになる。平和公園で、被爆体験された方に出会って、話を聞き涙したことがあった。
しかし、アメリカの原爆を開発し投下し撮影したアグニュー博士は、自分が落としたための悲惨な実態を知り、直に二人の被爆者の方の悲惨な話を聞いても謝罪はしなかった。「申し訳ないとは思わない」「非難するならあんなことをした日本軍や政府を非難してほしい」「リメンバー パールハーバー!!」と言っていた。
こんな映像を観ながら、やはりそうだろうな、と思った。

加害者は被害者を認めることがたいへん困難である。戦争において、それを認めてしまうと自分が否定され自尊感情が打ち砕かれてしまうからだ。おそらく中国や韓国などに対する日本の態度もそうだろう(こういう日本人が少なからずいる)。
また加害と被害は錯綜する。戦争を起こした加害者は日本(真珠湾攻撃)なのに、原爆を投下した加害者はアメリカ(戦争の早期終結ソ連参戦の阻止のためにであろうが)である。錯綜した中でお互い自分の主張ばかりをする。これでは、歩み寄れない。

「結局は、戦争をしないこと」と筑紫哲也は言っていた。「もう二度と戦争を繰り返さないためには過去をきちんと知ること、そしてそれらを論じること。そのときには、少数派の意見を聞くことが大切」と上手く無難に締めくくっていた。

ぼくはこの番組を観て、強烈に脳裏に残ったのはアグリュー博士が言った「戦争に兵士や民間人は関係ない。すべての人間に罪はある」という言葉である。そうかもしれない。あの時日本人のほとんどが戦争に向けて高揚していた。刷り込まれていた(何も知らなかった)とはいえ、子どもも年寄りも日の丸の旗を振り君が代を高らかに歌っていた。そんな中で異を唱える者や少数の戦争反対者は迫害されたのではなかったか。
またアグリュー博士は「今後、政府が戦争をしないことを望むだけです」とも言っていた。彼がヒロシマ訪問で言えた最大の言葉であっただろう。別れるときに被爆者の方二人に手をだし、握手をしていたことが印象に残った。

「政府が戦争をしない」は「政府が戦争をしようとするのを止めさせる」ことでもある。
政府やそれを支え指示している多くの人たちが戦争への準備を始めている「戦前」状態になってきている今日、ぼくら国民にとっては大切な岐路にさしかかっている。「政府が戦争をしない」という言葉はうつろな響きを増してきている。


ところで、面白い広告があった。
憲法を変えて戦争へ行こう」という大きな活字が、新聞の一面に載せられていた。ギョッとしたがその下の小さな字を読んでみると、「という世の中にしないための18人の発言」ということで、井上ひさし黒柳徹子姜尚中、ピーコ、吉永小百合渡辺えり子香山リカらの名前が載っていた。そして、下の欄には「戦争を体験したおじいちゃん、おばあちゃんがいる人は、今のうちに、いろいろ聞いておこう」という文が載せられていた。岩波ブックレットNO.657の広告であった(神戸新聞)。毎日新聞では下の文がちょっと違っていた。
「『たとえ戦争になっても、戦いに行くのは他人』だと思っていませんか?」