村上春樹『ふしぎな図書館』

aiueokaki2005-05-15

 昨日、宝塚北部・西谷の田舎へ帰って1泊した。祖母も母も相変わらずだ。ここへ来るといつも時間が止まっている。シロアリがつくというので椎茸づくりに使っていたさくさくになった古木を片付けたり、いらない物が散らばる家内の掃除をしたりした。
 夜、里芋やタケノコ、三つ葉、ダイコン菜などをつかった母の田舎料理を食べながら「世界がもし100人の村だったら3」というTV番組を見た。父が殺され、重病の母と3歳の弟のいる一家をささえるためにゴミ山をあさってなけなしの生計をたてようとする12歳の少女が映し出されていた。食事は3日おきのわずかの米飯に水を入れてふくらまし、塩で味付けしたものだけであった。なんだか飯を好きなだけ食べている自分は申し訳ないような気分になった。見終わった後も、あの映像が脳裏にこびりついていた。
 疲れていたのでもう寝ようとして寝床に入ったがなぜか寝られなかった。そこで、野路もえさんから「これええよ、すぐ読めるから」と言われて借りていた村上春樹佐々木マキの『ふしぎな図書館』を読むことにした。でも、2,3ページ読むと知らないうちに眠っていた。
 そして、朝、つづきを読むことになった。

 街の知的場所である図書館にはいりこんだ不思議な村上春樹ワールド物語。図書館の地下に踏み込み突然出会う奇妙な人物と監獄的世界。そこに入り込むと現代人の内部世界のように少しずつ深く沈んでいく。閉じこめられた出口なしの世界。ぼくを餌食にする老人、香ばしくとても美味しいドーナツをつくる牢番の羊男とぼくを助けようとするこの世の者ではないような美しい食事係の少女が登場する。羊男と少女がレイヤーする。消えゆく声。最後には、ぼくが拠り所とするものすべてを失ってしまう。・・・・・
 完全な喪失と絶対的な孤独。それが軽やかにさらっと描かれていた。不安で出口なしの今日の社会の内側のメタファーなのか。村上春樹は時代の感性をよく読んでいる。

 ただ村上春樹への不満は、彼は騒々しい時代の中のかすかな声に耳を傾けているのだが、そこで止まっていることだ。時代の壁に穴をあけることはしない。壁を見つめて、あれこれ想いを発して、ふーっと溜息をつき、やれやれ、と呟いている感じを受ける。
 はてさて、異様な様相を呈する21世紀の幕開けの時代を村上春樹はどう切り込んでいくか、楽しみだ。