『ひらく美術』*No.22406

前略。先日は秋の宝塚北部=西谷へようこそおいでくださり、ありがとうございました。長沢さん、いつもご丁寧なお礼をありがとうございます。読書会も、『ひらく美術』北川フラム(ちくま新書)をやってよかったのではと思います。10人の文学仲間が集まって、とても愉しい語らいでした。


この地では、アート(藝術)は赤ちゃんのように生まれたてで、世界は何もかも新鮮で未知の世界です。
それは生活の中で発見されます。干した洗濯物に、歩いていた道端の草花に、ほうきで掃いた後に、ふと見上げた青空に浮かぶ雲に。
それは見たり聞いたりしているうちに、心が洗われ、澄み、どんな嫌なことも好きなものに転嫁し、元気を回復するのです。ヒトが人間にしてきた(していく)のもひとつに藝術が深く関わっているのではないかと考えます。


アートは自分のいる場とかかわり、向き合い、大切なものを回復します。
これまで生きてきたことを振り返らせ、再発見させてくれたり、いま何をしているのかを気付かせ、これから何をすればいいのかを暗示してくれます。


そして人と自然、人と地域のつながりをとり戻し、人と人を結びつけてくれるのです。
見捨てられていた(見捨てた)山里、人が出て行ったり亡くなられたりして誰もいなくなった家、子どもがいなくなってしまった校舎はアートによってよみがえります。新たなる地域の発見、回復、そして活性化です。


なかにたましいを揺すぶられる藝術作品もあります。アートはおもしろく、ドキドキして、わたしたちの日常を撃ちます。それは愉しくて、気持ちのいいものです。太古より人が人としてつくり編み出してきた道具であり技藝なのです。


だから今日の専門家されジャンル化され閉じられた美術はひらかれなければならないと思います。地域社会に、人の心の中に、です。




早速昨日、きみたん(豊川候子さん)作の案山子を田舎家拙宅の軒先に置きました。道行く人たちから面白がられています