『畑と食卓との間』*No.2240

畑と食卓との間

清人

この頃「食」というものをよく考えるようになりました。 それは畑をまじめにつくりだしたのがきっかけかもしれません。畑をまじめにつくる? いったいこれまでは真面目につくってなかったの、と問われるにちがいありません。そうなんです。これまで田舎家の畑は草がぼうぼうだったのです。草を刈る時間も余裕もなかったし、梅雨のときなんぞは、草引きや草刈りをしてきれいに草を無くしたと思いきや、1週間程経てばまた草がにょきにょき顔を出し、2週間程経てば、また草いっぱいの畑に戻っている・・・。だからもう、ええかげんにしてくれよ、と放棄することも度々。しかしそうすればするほど、草は待ってましたとばかりに勢いを増して畑中、草の原。とほほ。そんな草原状態から少し脱することができた最近は、野菜づくりが楽しくなりかけているところなのです。いろんな野菜の種類の種や苗を買ってきて植えるのも楽しみになりました。
いや違う。その逆かもしれません。「食」を考えるようになったから、畑をまじめにつくるようになった、と言い改めたほうがいいかもしれません。それは、こんなことを書いたり書いてもらったりしたからなんです。
 いよいよ秋も深まってきました。西谷の山も木も黄色に赤にオレンジにと少しずつ彩りを増してきています。木々に味わいが出てきて、美しさを増しています。紅葉の秋の味わいです。
 食に関する味わいは私たち生きる物にとって贅沢な欲望と言えるのでしょうか、生きる糧の一つでもあります。とにかく食の根本は、「味」です。
私たちは食すとき、舌だけでなく、目、鼻、耳、手触り、そして知識や記憶、あらゆる角度から味わっています。人間は見た目の色や形、香り、カリコリする音、思い出等、五感や記憶等で味わっているのです。その証拠に、鼻をつまんで食べたり、目を瞑って食べたりすると、それは拙いものになります。食わず嫌いと言うのがありますが、その原因は五感の中にあったり、視覚やイメージ、それに記憶が先行してしまったりした結果の食の傾向だとどこかで読んだことがあります。私たち人間にとって生きるための欲望である食は、なくてはならないものであり、それを豊かなものにすると人生もよりいっそう豊かなものになっていくでしょう。食の味わいは幸せにつながります。そして食材や自然を知るだけでなく、自分自身を知り、他人を知ることにもなります。
 さて西谷の味覚です。・・・・・   ということとか。春は春でこんなことを書いてもらいました。 
朝夕の冷え込みはあっても、里山には点々とタムシバの白い花が目立つようになって、春の訪れを感じます。畑の隅や水路の斜面、道端には青いオオイヌノフグリ、白くて小さなハコベタネツケバナなど野草の花が満開。どれも小さいので注意して見るか、しゃがみ込まないと気づきませんが。
七草がゆは早春の野草を食べて大地のエネルギーを頂くとともに栄養学的にも不足しがちなミネラル分を補う知恵だったのでしょう。畑の野菜に比べると野草は硬かったり、あくが多いので食べにくいところはありますが調理の仕方を工夫するとおいしく食べることが出来ます。
フキノトウやツクシ、ワラビは季節を感じる野草、山菜としておなじみですが、道端や庭の隅にたくさん咲いているカラスノエンドウも、やわらかい芽先を摘んで和え物にすると春の味。餅草とも呼ばれるヨモギは若芽をゆでて細かく刻み、すり鉢で摺って砂糖を加えると香りのよいヨモギペーストができます。これを白玉粉でつくった団子にかけ頂くと春の香り。
あぜや法面を黄色に彩るタンポポには、小ぶりで在来のカンサイタンポポと大柄なセイヨウタンポポがあります。西谷ではどちらも見られますが、道端にあるのは殆どが外来種セイヨウタンポポ。葉が大振りで切れ込みがのこぎりの歯のよう。英名ではデンタ・ライオン(ライオンの歯)と呼びます。
日本には明治初期、北海道の札幌農学校に野菜としてアメリカから持ち込まれたといわれ、それが全国に広がったそうです。葉や茎を一口大にちぎって、水にさらしサラダとして食べるほか、根は乾燥してタンポポコーヒーに。少し苦みがありますが朝のサラダに加えてはいかが。
白い小さな花をたくさん咲かせている春の七草ハコベナズナ(ぺんぺんぐさ)は、4月に入ると少し硬くなりますが、柔らかな葉を指先で摘んで細かく刻み、味噌汁など汁物のいろどりにして春の気を体内に。
ノビル(野蒜)は畑の斜面や余り耕うんされない畔にたくさん生えています。葉先を摘むとネギの匂いがするのですぐわかります。球形の根っこは取らずに葉だけ摘むと毎年採れます。刻んで缶詰のマグロやカツオのフレークと合わせると絶品。もちろん汁物にも。
身近に生えている食べられる野草や木の葉、花はたくさんあります。見分ける眼も必要ですが、最初はよく知っている方と一緒に摘みながら、食べて覚えましょう。中には毒草(例えばキツネノボタンヒガンバナなど)もありますので、分からないものは口にしないこと。 ・・・・・
 毎年、3月はひな祭りメニュー。今春は「かざり巻きずし」の“すし飯”には芽吹いたばかりのカラスノエンドウを細かく刻んで混ぜ込みました。また、ハマグリのお汁には彩りとして、さっとゆでたナズナハコベを入れ、デザートに桜餅とスイバのジャムも。桜餅はタカキビの煮汁で桜色をつけ、桜の葉は昨年採って塩漬けしておいたオオシマザクラの葉を使います。4月はいつも、すくすく伸びる植物の力を実感できる竹の子料理が定番。
夢プラザの近くで竹の子を栽培している農家にお願いして、毎年掘らせていただいています。子ども達は頭を出した竹の子探しで、泥んこになりながら掘り上げて大喜び。掘った竹の子は、すぐに調理室に持ち帰って皮をむき、細かく刻んで竹の子ご飯に。ハルジオン、ヒメオドリコソウドクダミなど春の野草は天ぷらがいちばん。デザートは小麦粉の薄焼きで餡を包む長命寺桜餅です。私たちは、野草を“摘み菜”という形で美味しく食べることで、季節の味を楽しんでいます。
こんなことを書いたり書いてもらったしたからには「食」に興味を抱かずにはおられません。
そしてテレビや雑誌等の「食」ブームです。ここ何年前からか、料理や食べ歩き、健康食品の特集がやたらと増えてきました。テレビでは毎日のように、どこかで見たタレントたちが、あちこちの店や旅館で、「うまい、うまい」を連発しています。少し勉強しているタレントや通気取りのタレントは、やれ「ジューシィですね」とか、やれ「歯ごたえがいい」とか「とろけるような」だとか「まろやか」だとか「アクセントの効いた」だとか、知っている単語や文を使って上手く喋り、演出も行き届いています。ぼくが「食」に関心を抱くようになったのは、そんな影響もあるのかもしれません。
さてさて、畑と食卓の間です。