『ふるさとは』言葉の展覧会1460

aiueokaki2012-11-02

ふるさととは、母のふところのようなもの  (T美)

 
 「ふるさとは遠きにありて思ふもの」とは室生犀星の有名な詩である。その言葉の後に「そして悲しくうたふもの」とある。T美さんの場合、これとは違う。T美さんの詩は読んで解るようにふるさとの楽しかったことや良かったことであふれている。そこには、母がいて家族や近所の人がいる。もうすでに他界している人たちがほとんどだが、離れて半世紀以上経った今なお、T美さんの心の中にふるさとが息づいている。識字学級でふるさとのことを話すと、喜びが満面にあらわれる。まるで昨日あったことのように事細かに、しかも楽しさいっぱいに話してくれる。厳しくつらい現実のなかで、ふるさとは慰めや癒しとなる。
 さて、第二のふるさとはどうか。さまざまな苦しくて辛いことがあったのではと想う。そんな体験や差別とのたたかい、それにたくさんの出逢いのなかで、識字学級をはじめとして実に多くのことを学ばれた。学んだからこそ、ふるさとは、美しい夕焼けのように、空いっぱいに真っ赤に輝くのである。
 ふるさとは、勇気づけてくれるものだ。そしてT美さんにとってふるさとは、明日への希望でもある。
 ふるさとはあたたかいのだ。そう、母のふところのように。



※この春より、週1回夜に識字学級の講師をしている。識字学級をやりはじめてから39年目のT美さんの、第2詩集『ふるさとは』を、手作りで3日程かかって作った。これは、その編集後記である。