「静物画」言葉の展覧会601

aiueokaki2008-07-13

リンゴ メロン マスカット オレンジ ・・・
豪奢な皿の上に盛られた果物
立派な額縁に収まっている
静物


だが
よく見ると
少しずつ姿を変えていく
わずかだが朽ちへこんでいる
やがてカビが生え腐り
崩れ落ちる
カビは果物全体に真っ白に蔓延り
真綿のようだ
その下を
液体が幾筋もの小さな川をつくって流れ
池をつくったりする
それも束の間
まもなく
乾燥


最後に残されたのは
時間を透視した
得体の知れない
痕跡


ところが
静物画はそこに
未だに生々しい果物を額縁に収めている
真夏の幻覚を残して






     『毎日、詩を書く』

 多忙な毎日だ。仕事の方も年々厳しくなり、帰りはいつも遅い。休日はほとんど、老母が独り暮らす田舎に行って畑作りや草刈り等をしている。宝塚の自宅は寝るためにだけあるようなものだ。ゆっくり休む暇もあまりなく、身も心もまいっている昨今である。(こんな疲労の言葉を吐くのも、1週間以上経っても治らない風邪のせいだろうか。)
そんな中で唯一の救いと慰安が、詩をつくることである。紙に向かったりパソコンに向かったりして、あれこれ言葉を探し言葉を紡いでると、疲れが解け心がリフレッシュするのである。『言葉の展覧会』ということで、ブログ(「おかき日記」)に言葉(詩)を毎日展示して2年目で、601回だ。よくこれだけ続けられたと我ながら感心するが、これは凡庸に向かうぼく自身とのたたかいでもある。最近、平日は疲れ果ててバタンキューと寝てしまうので、主に休日の夜にまとめて書くことにしている。その時々のメモ等を基にしているとはいえ、一挙に6つも7つも書くので、平板で言葉の襞が見えず、中味が軽く薄い。それを自分でも気付いているのだが、仕事を優先しているのでそのままにしている。過去に書いた作品も無料ウェブに入れたままになっている。これらをまとめて十数年前のように詩集を出したいとも思わない。それどころか読み直しすらしていない。
 ただ詩を書いてウェブ『言葉の展覧会』に載せることがぼくにとって、日々の生活の励みとなり、糧となっている。時に、書いた詩に我が身を正されたり、上手くできた喜びに悦に入ったり快感を得たりさえしている。曼荼羅を砂で描いては消し、消しては描き続ける仏教僧の境地にまでは至らないが、ぼくにとって詩はもう生活の一部のようなのだ。詩と共に生きる、と言うのは格好良すぎるのだがとにかくそんな心境である。繰る日も繰る日もひたすら同じ絵を反復しながら描き続けているあるアウトサイダー・アーティストをブラウン管画面で見ていたく感動したことがある。かれにとって絵を描くということは、生活であり生きる喜びなのだ。

                    (兵庫県現代詩協会 会報23号より)