『ビターズ2滴半』 〜村上三郎はかく語りき〜

坂出達典さんより、今度出版する本『ビターズ2滴半』の企画書が送られてきた。どこかいい出版社がこの企画書を拾って、出版してくれるといいなぁ。


         『ビターズ2滴半』
        〜村上三郎はかく語りき〜
     紙を破ることが何故芸術になり得るのか? 


 戦後日本の現代美術界を力強く牽引してきた前衛芸術集団「具体美術協会」は1954年吉原治良によって結成され、1972年 彼の死によって解散しましたが、彼らの活動は早くも1957年に来日したミッシェル・タピエによってヨーロッパに紹介され、その先進的な作品群が驚きをもって迎えられたことは戦後日本の現代美術界の輝ける金字塔として歴史に記されています。この「具体美術協会」からは元永定正、白髪一雄、嶋本昭三田中敦子、堀尾貞治、松谷武判など今なお世界に影響を与え続けている作家を輩出したことは周知の事実でありますが、中でも「ミスター具体」の異名をとる村上三郎の存在の大きさは、その作品が現代美術の殿堂「ポンピドゥー・センター」にコレクションされていることからもうかがい知ることが出来るでしょう。彼の「紙破り」をはじめとする先進的かつ独創的な作品群は、その難解さによってしばしば誤解され特に日本においては異端視されることもありましたが、しかしその影響は静かにしかし確実に世界に浸透し、時を経るごとにその存在感が増大しつつあるという事実は衆目の一致するところでしょう。
今年(2006年)4月にはデュッセルドルフ・クンスト・パラスト美術館に於いて、当地の前衛芸術集団ゼロ/ヌル+「具体」展が開催されました。そこでは「紙破り」の再制作もなされ、村上芸術の真髄を再認識させることとなりましたが、果たしてそのレベルの高さと先進性は当地の美術家の羨望と嫉妬にさらされるほどであった、と報告されています。
しかし村上三郎という人物が残した足跡の大きさにもかかわらず、その研究と作品の整理は美術館内の研究者のみで行われ、過去、公に出版されたものといえばビデオ・テープ1巻とCD・Rom1枚のみという貧弱さである。その理由のひとつに「村上三郎研究」と「整理、出版事業」を率先して行わなければならないはずの芦屋市立美術博物館が、ひっ迫した芦屋市の財政事情の影響を受け、ほとんど活動停止の状態に追い込まれてしまったという事実がある。そして芦屋市民の文化に対する関心の低さ、世界に認められた「具体」が芦屋市の貴重な文化財であるという事実に対する市民の認識の低さがあり、これは決して看過されるものではない。この点においては東京はもとより、水戸市金沢市、福岡市などの地方都市と比べても低いと言わざるを得ず、芦屋市が阪神間に位置しているとは信じ難いほどである。
公的機関がそれをやらない、又やる気が無いのであれば、民間人がやるしかないのであるが、しかし公的機関がやるような作品1点1点を丹念に研究、整理するというような仕事は個人レベルでなせるものではない。私がここでなそうとしたことは「無類の酒好きであった村上三郎が、バーのマスターである私に何を語ったのか」ということであり、その整理と解釈である。彼が逝去されるまでの4年間、私は酒を酌み交わしながら彼の話をじっくり聞くことが出来ました。そして芸術や哲学について多くを学ぶことが出来ました。
 村上三郎が黄泉の国の住人となられてから今年で10年、この間、彼に関する新たな情報も加わり、それらは私なりに解釈され蓄積されてきました。しかしこの10年で知り得た最も驚くべきことは「彼は芸術や哲学について、他の人に語ることほとんど無かった」という事実である。実に意外である。彼は芸術家であると同時に哲学者でもあった。にもかかわらず、彼は大学の同僚とも「具体」の会員である美術家たちとも芸術や哲学について多くを語ることはなかった。しかし村上三郎はバー・メタモルフォーゼにあしげく通われ4年間に亘り芸術そして哲学を語り続けたのである。何故だろう?
 確かに村上三郎と私の間には芸術や哲学といった共通の関心事があった。しかしそれだけでは彼は決してあれだけ多くを語ることは無かったであろう。私たちの間には「酒」という共通の嗜好が介在していたのである。酒好きの村上三郎は飲めば飲むほど無上の幸福に浸り「胸襟を開いて」語り続けたのであろう。私にはバーのマスターという仕事に加えて、もう一つ別の役割も担わされてしまっていたのである。私には「村上三郎語録」を著す責任がある――私はそう考えました。
 私はバーのマスターでありつつ創作活動を行っている所謂アマチュアのアーティストであって、美術評論家学芸員のような専門家ではありません。したがってこの本は芸術書に分類されるような専門書ではなく、また哲学書でも勿論ありません。多くの部分は小説風に書かれてあります。しかし「村上芸術」に対する私なりの解釈に当てられている部分もかなりあります。結果として、本書はジャンル分け出来ない風変わりな書となってしまっています。しかしこれが私独自のスタイルであり、又このスタイルでなければ表現できなかったものこそが「本書を特徴づける最たるもの」となっているはずです。
 本書は2006年1月バー・メタモルフォーゼで開催された、村上三郎没後10年記念イヴェントに合わせて書き下ろされたものですが、すでに近親者に(E‐mailを含め)100部余り配布されました。その結果かなりの手応えを感じることが出来ました。美術家や学芸員などの専門家はもとより、全く美術とは縁遠く「村上三郎が誰かも知らない人達」からも「とても面白かった」との感想が届いたのは本当に意外でした。「わけの分からない現代美術」がなんとなく分かるようになった。「現代アートは小難しい」と思っていたが、その底に流れているものが見えてきた。「面白い!認識を新たにした!」という感想も多く届けられ、本書が一風変わった「現代アート解説書」にもなっていることを知らされました。詩人や文筆家からも結構な評価をいただき、また「具体」研究の第一人者である山本淳夫氏からは「現代美術のバイブル」と絶賛され、専門家にも素人にも多角的に訴えかけることの出来る本書の意義を確信した次第です。
 尚、本書出版時には堀尾貞治氏によるイラスト、写真等も付加され、さらに元永定正、今井祝雄、白髪一雄、鷲見康夫各氏による一文も加える予定になっています。
2006年7月10
坂出達典