おばあちゃんを偲んで延々と

今日は祖母の49日満中陰の法事だった。喪主というのは辛い。家族と共に、法事のためのいろんな段取りや進行をしていかなければならない。じっくりとできず、神経を尖らせて次のことを考えなければならない。朝からお参りにきてくれた25人の親戚や近所の人たちと、家やお寺で法要したり、墓へ行ったり、家でお膳を食したりして進んでいく。
釈迦の教えも、この日本列島に伝わって土着的な風習として定着している。故人を偲んだり供養をしたり、しばし人の死をみつめたりするため、この田舎のしきたりには従わなければならない時間をつくる。共同体内の付き合い(人間関係)の知恵として歴史過程のどこかであみ出され今日も営々と続けられている。共同体が違えばまた違う風習がある。満中陰の膳の席で、市外(別の田舎共同体)から来た年配の親戚(今、A市の○○センターの所長をやっている)に、コップ酒をあおりながら「喪主の挨拶する場所は一番下座でするもの。常識知らずや」と言われた。彼はかなり酒を飲んでいたので、ぼくの家の部屋はどこが上座でどこが下座か分からなかったが、「常識知らずですみません」と返答しておいた。地域の共同体によってはまだまだ強固に縦社会が残っているので難儀である。


夕方頃にだいたい人が帰って後片付けをした後、叔父や叔母(祖母の子)が「おばあちゃんに白寿の祝いをしてあげられなかったので、これからしよう」と言ったので、祖母の子や孫ら8人で田舎の近所のスナックへ飲みに行った。鍵がかかっていたけれど今から開けますとのこと(人が来ないので、鍵をかけていたとのこと。田舎らしい)。貸し切りである。米寿の時、祖母が拍子抜けの「大阪しぐれ」を歌ったのを思い出して、みんなでそれを歌ってから白寿の祝い会を始めた。70歳前後の子らと50歳前後の孫たちが飲んで歌って話して楽しい会だった。「おばあちゃんは、みんなが騒いでいるのを横でじっと聴いているのが好きだったなぁ」と誰かが言った。うんうん、100歳で亡くなったおばあちゃんもあの世で喜んでいることだろう。
今日は、昼間より飲み始めて深夜まで、延々と10時間は祖母を偲んで飲んで喋っていたことになる。