命を「いただきます!」

aiueokaki2006-01-23

「いただきます」ってのは、ただ食事をいただきます(もらいます)ってのじゃない。
ましてやそれは、現世的なカネに絡んだもんじゃない。
当然、権利でもないし、自己表現でもありません。
それは、命を「いただきます」なんです。
衣食住の「食」は命を維持するうえで無くてはならないもの。
毎日、殺した動物や植物を「食」しているんだから、殺したものたちにあなたの命を「いただきます」と感謝して食べるのは当然のこと。宗教(特に仏教)や共同体がその言葉を取り入れているだけの話。
お金とか権利とかで「いただきます」を捉えるのは愚の骨頂です。
給食や外食で言うのは不要なんて、それこそ不要の論議です。
こんなものは、殺した物を食べる時には心のなかで言うのは当たり前のこと。
「人間」という動物(生命体)にもどってください。
(このブログの右バーに載っていた「注目URL」のタイトル〜考:「いただきます」って言ってますか? 「給食や外食では不要」ラジオで大論争−家庭:MSN毎日インタラクティブ 〜を見ているだけでバカバカしくなって記しました)


再び「生命」という詩

    ***

わたしのなかにひそんでいる宇宙
こっそりと

あれはいつからのことなのか
思いだそうとしても思いだせない
とおいとおい
わたしの細胞のなかの記憶
わたしのなかの海 
わたしという魚
ちいさなちいさなふくろ

いつからできたのか
外と内のしきり
なかを管がのびて
まがって ちぢんで
入れて 出して
化けて めぐって
またあたらしく変わる

ふくろにぽっかりあいた口
食べる
「いただきます」いのち
かつてはいのちがけ
いまはとても豊かになったが
すっかり忘れて
大切なものをポトポト落としている
失ったときに凶暴になる
数字が逆立ちし マネーが踊る
過剰な繁栄は危機の始まり
今日食べた牛や魚はどんな生き方をしていたんだろう

流れる
無数の中のひとつ 大きな流れ
みんなちがってみんな同じ
どんな生命もあるべくしてある
いらないものなどなにひとつない
ミミズも鳥も木も草も そして人間も
流れる流れる



答えはいらない
大きな「問い」をもちつづけることだ
なぜ生きるようになったのか
なぜまじわるのか なぜ多様なのか
どこから来て どこへ行こうとするのか
生命

しあわせはかけらとしてある
さまざまなかたち
太陽をつまんで



※写真は、ワァーダダ・コウドー「飛来もの展」(「かまぼこ」)より。