ゴミの部屋

どうもぼくの家系はモノをよう捨てない者が多いらしい。
今日の昼からカミさんとぼくは、大学生になった下の息子といっぱいの荷物をクルマに積んで中国縦貫道路を通って、療へ荷物を運んでやったが、かれの4畳半と炊事付きの部屋に入ってびっくり。ゴミ屋敷ならぬゴミの部屋なのだ。ベッドに机の上に床下に、衣服は脱いだままあちこちに捨てられており、それらにカバンや本、CD、プリント、ちらし、・・・そしてゴミが混じって散乱している。カミさんはそれを見るやいなや、ニョキッと角を生やした。
「ちゃんと掃除して出てきたと言ってたのに、何? これ。これで掃除したと言うの!」
と言う言葉をかわきりに機関銃のような小言が飛び出した。
「・・・・・・・・」
宝塚の家ではよく口答えしていた息子は、今回は全く言い返す言葉が無かった。ただ黙ったままうつむいているのみだ。
がラッキーなことに、予定していたバイトの打ち合わせの時刻になったのでぼくら両親を置いて、そそくさと部屋を出て行ってしまった。
カミさんは「あんたとよく似てるわ」と吐き捨てるように言いながら、息子がドアを閉めるのを見ていた。それからガミガミと独り言を言いながら、息子の部屋を片付け始め出した。ぼくはとにかく早く帰りたかった。今日からメタモルフォーゼで、村上三郎に捧げる展の搬入があり(ぼくの作品はまだ作ってないが)、オープニングとして堀尾貞治さんが、障子破りのパフォーマンスをやるから行く予定だったのだ。しかし、頭にきていたカミさんには逆らえない。ええい、なんてことだ! もうかくなるうえは、とぼくも掃除に加わることしかなかった。
山ほどの脱ぎ捨てられた衣服を療にある4つの洗濯機にかけたり、散乱している本やCDを元に戻したり、茶色く汚れた洗面所や便器をゴシゴシこすってきれいにしたり、ゴミを掃いてゴミ袋にいれたり、壊れかけのボックスを修繕したり、焦げ付いて真っ黒になったレンジを擦ったり拭いたり・・・・・、息子も帰ってきて、プリントの整理をやらせたり、・・・・・。
終了した時、外は暗かった。腹が減ったので、ぼくら3人は王将へ行き、餃子やラーメン等を食べた。帰りのクルマの中でぼくは、「ぼくら、しつけが悪かったのかな」と言ったが、カミさんは無言だった。しばらくしてからぼそっと言った。
「あんたに似ているのよ。いくら私が教えても馬の耳に念仏」
そして深いため息をついた。
「あんたも人のことより自分の部屋を片付けたらどうなの」

そう言えばぼくは暮れに田舎の実家に帰ったとき母に、家の中の物が出しっぱなしなの見て整理整頓をすることを言い、3日間の大掃除をしたことを思い出した。
帰宅は深夜。もうたいへんな1日であった。(5日)