不安に惑わされるな 〜その1〜
不安は
ふあんふあんと煽られ
フアンフアンと虚回りする
フアンは
ふあんふあんと
フアンフアンと
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去年、上記冒頭にあるような詩を書いた(『サルよ』(「幻想時計」No.25))。今日のようなアメリカグローバリズムに席捲されてしまったような日本社会では、不安が醸成され常態化してしまう。不安をもたらすのは不信である。急速度な共同体(地域共同体、会社共同体、家族共同体)解体過程の中で、不信の社会になってしまったからこそ不安が蔓延してきたのだ。不安が日常化した不信社会は安全を求め、監視をするようになる。セキュリティが最大の関心事となる。至る所で監視カメラが作動している。不信の背後には「効率」を最大優先する弱肉強食、優勝劣敗(勝ち組、負け組)のイデオロギーがある。不信は、強迫神経症で不寛容、そして排他的だ。ギスギス、ビクビクしている。弱者は容赦なく切り捨てられる。今日の自殺者や引きこもり・ニートの増大は何を物語っているのだろう。
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もっと監視を
もっともっと
もっともっと
それゆえ形のない茫漠たる悪魔が
世に徘徊する
目に見えないものにびくびく怯え
目をきょろきょろさせている
異や反や非にはバッシバッシバッシング
ああ 救いはないのか
信頼はどこへいった
サルよ
ニホンザルよ
こんなふうに時代は突き進んで行く
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それは、勇ましく強い者にいとも簡単に靡いてしまう。例えば声高に決然と「正義」や「誇り」を唱える者に引き寄せられる。その言葉はワンパターンでとても貧しいけれど、絶叫的で断固たるものがあるので容易く煽られてしまう。リピートされたワンフレーズはカタルシスを得て、心の中に沈潜し、パブロフの実験場となる。かつての大日本帝国が戦争に突き進んでいった空気がまた戻ってきたのだ。以下のようにならなければいいが。近未来への警告!!
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ズタズタに引き裂かれた挙げ句
剥き出しになった暴力の中で
どこからともなく冷徹な至上命令が下る
たたかえ 今はたたかうしかない
正義をもって 勇ましく
切れ切れ
悪を切り捨てよ
言っている者を見れば
絶叫的な貧しい言葉を使うボスザル
空元気でワンパターンで自己閉塞で
億人を地獄の一丁目へ連れて行こうと
しかし従う者数多
ひとときの迷いの現実化
かくして
狂ったサルども
目をカーッと開けて
唇の奥から牙が
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こんなふうにして時代は突き進んで行ったんだ
バカバカしい正夢だ
そもそもホモサピエンスは在たのであろうか
サルよ
私というサルよ!
(詩『サルよ』「幻想時計」No.25より)