戦前責任

aiueokaki2005-07-14

    柄谷行人が「戦前の思考」を書いたあたりからだったか、90年代ぐらいから「戦前」という言葉が深刻性を帯びてきた。今日の状況を見ていると、ぼくもその言葉が相応しいのではないかと思う。もはや「戦後」60年ではないのだ。戦前であるように思えてならない。いや、「戦後」が整理されないまま「戦前」が進入してきた、と言ったほうがいいだろう。戦後責任がきちっと取れないから「戦前」がもたらされたにちがいない。数年前から凶悪的な事件や少年犯罪、自殺の増加など社会病理現象が現れだし、特に9.11以降、北朝鮮報道あたりから社会不安が深刻化し、自国民意識の植え付けと異端のバッシングと排除、それらを利用した国民統合、戦争への煽りが時代の気分としてあちこち漂いだしてきた。本屋へ行って横積みされている本を見ても、SやY新聞を読んでも、ある放送局のTVニュースやバラエティやトークを観ても、仕事で働いていても、今ぼくたちはなんだかわからないきな臭い空気を嗅いでいる。はっきりと目には見えないけれど、そんな空気が増大してきている。トップに立つ者だけが悪いんじゃないだろう。草の根的に国民がそうなっていったんではないかと思う。1930年代にみるかつての戦争前もおそらくこんな状況を呈していたのだろう、おそらく。そしてある日突然、戦争(以前のような形ではない)が・・・
 さてそこで、戦前責任である。こんな世の中にあって自分はどんな態度を示せばいいのだろうか。かつての戦争でも、警告を発したり、ブレーキをかける人たちがいた。大きな流れの中ではあまり堰き止めることはできなかったのだが、たとえ微々たるものであっても、そういう人がいたと言うことは勇気づけられる。だからぼくはあえてこんな寝言のようなものを言っておきたい。せめていまの気分だけでも記しておきたい。「お父さんはあの時(戦争に突き進んでいくとき)、止めようとしなかったの?」と子どもに聞かれたとき、「しかたがなかったんだ。世の中がそのようになってしまっていたんだから」、「戦争を推進していった政府やマスコミが悪いんだ。国民は犠牲者だった」という言葉だけは言いたくないために(最も生き延びての話だが)。
 この列島の住民諸君、このまま進んで行けばたいへんなことになりますよ。小さなカナリアの警告です。ピピピピピーーーー  勇ましい言葉や強い言葉に煽られないように、単発的な繰り返し言葉に刷り込まれないように、声高な言葉に惑わされないように、ピピピピピーーーー ピピピピピーーーー 


           (今日は、なぜか格好つけました)