百年の恋

aiueokaki2005-05-07

 今日は読書会を野外でやった。最明寺滝にある「山幸」でだ。天からこぼれ落ちてくるような滝も見に行き、後に大阪湾等が見える展望のいい山上の山手台公園へも行った。駅2つの近場「山本」にこんな所があるとは全く知らなかった。山の中、ガラス張りの部屋から一面の緑を眺めながら、美味しい昼食を食べた後、珈琲を啜りながら11人の仲間が語り合った。読書は、篠田節子の「秋の花火」。これは、5編の短編集らしい。
 らしい、と言うのは、実は読めなかったからだ。読書会が間近に迫っているというので先日、近くの本屋にこのタイトルの本(単行本)を買いに行ったがなかった。だもんで、文庫本の中から、篠田節子をさがして1冊を選んで買ったのである。それが「百年の恋」である。5冊あった篠田節子の本からこれを選んだ。それは、副題に「・・子育て日記」とあったからである。それを昨夜、寝床で3ページ程読んで眠ってしまった。
 今日は、なぜか朝の3時に目が覚めた。喉が渇いていたので水を飲み、トイレに行き、もう一度寝ようと思って布団に入ったが、どうも眠れなかった。仕方がないので、枕元に置いていた「百年の恋」の続きを読んだ。読書会のみんなには、本屋に行って無かったので・・・、ということで済ませようと思っていたが、これがまた面白く一気に読んでしまえそうだった。どう見ても持てない3低(収入低、背低、偏差値大学低)でSF翻訳オタク・ライター30男と東大理学部卒の超美人のキャリアウーマン(33歳)の恋と結婚と出産、子育ての物語である。年収が2百万しかない真一はすんなりと年収8百万の梨香子と結婚までいくが、一緒に住んでみると仕事(銀行の総合職)ではパリパリである梨香子が身辺のことは何も出来ないヒステリー持ちだと分かる。脱いだ服は捏ねっぱなしで、パンツも洗わずほったらかし。しかしうだつの上がらない彼は彼女の収入の恩恵を被って暮らさざるをえない。全く不釣り合いな2人を上手く釣り合いがとれるように描かれている。冴えない男・真一に同情しながらも笑って読んだのは久しぶりだった。
 「女たちのジハード」で直木賞をもらった篠田節子の本を読むのはこれが初めてであるが、ユーモア感覚があるなかなかのストーリーテラーである。みんなが言うには「秋の花火」5編はそれぞれに面白かったそうである。パニック物や戦争物は読んでみてあっと思ったと言う。恋愛物は2人の心理描写が上手い。生活感があり、生々しくもあるが愛おしい。きゅーんとなるよりもかなしい。「恋愛小説での障害は、よく外部的なものが設定されます。けれども最大の障害というのは、実は互いの心の中にある。相手を思う気持ちの重さと軽さに常に微妙な齟齬が生じていって、自ずから壊れていくってことなんですよ。シーソーのように片方が重くなると片方はどんどん軽くなって、それを何とか元に戻したいと思ったとき、人はいろんなことをしでかしちゃう」と篠田節子は自作を語っている。なるほど「百年の恋」もそうだ。これはてんやわんやで、シーソーが左右に大きく揺れながらもバランスが上手く取れた物語なのである。それで安心して笑いながら読めたのだ。
いずれもハッピーエンドに終わっているのは、エンターテインメントである作家の読者へのサービスであるのだろうか、少し物足りなさもある。