『夢十や』*No.2207

aiueokaki2015-09-01

夢十や
                  仲清人


トントン、
トントントン
と扉をたたいた
明けまして
あっ、とおどろいた
そこには
夢がちょこんと
突っ立っていたからだ
なぜ夢なんだ?!
なぜって、あなたの夢だからです
驚きとも幻とも喜びともとれないで
これ、これなんだよ
と泣いてしまった
ぼくのとる道はこれなんだよな
明けまして、夢


蛇足。二〇一三年の一月一日は、「元旦の朝 晴れて 風なし」(石川啄木)のような、からっと晴れて気持ちのいい朝だった。部屋はまだ片づけていないところが多いしゴミも落ちているが、まあ、たいしたことはない。
認知症の老母と二人で、ぼくが下手くそながらつくったお雑煮と煮しめをおいしく食べた。その後、ぼくはあちこち部屋や家の周りの掃除をした。母はゆっくり昨夜入れなかった朝風呂に入っている。午後からは吉水講でお寺にお経をあげるために迎えにいくから十二時半には出といて、とお隣から2回目の電話があった。(ところが、これがたいへんで、結局ぼくが送ることになった。その後もいろいろあったが・・・・・)
「あなたの方から見たらずゐぶん惨憺たるけしきでせうが わたしから見えるのは やっぱりきれいな青ぞらと すきとほった風ばかりです」(宮沢賢治『眼にて云ふ』)
                             


あの日から
魔法にかかってしまって
・・・・・
あれから何十年経った今もなお
変わらぬ
夢見る少年



 三
この花は花であるけれど花ではない
この猫は猫ではあるけれど猫ではない
この水は水ではあるけれど水ではない
この私は私ではあるけれど私ではない
千年後の時間の経過を観る
いのちが流れて
百万年後の
私は蟻になり猫になり花になる
ほんのいちぶぶん
しかしいま 私は私
貧相だけど
一度きりのかけがえのない私
今宵、分子は私という夢を見る
川の水は流れ
空はあまりにも青く
浮かぶ雲は白過ぎる
私は大空に両手をいっぱい広げる
花のいい香りがただよっている




街のかたすみに
ちょっとほころんだカフェがある
ほころびから
ポロッと夢がもれる
ときたまぼくは
そこへ行き
ゆっくりと珈琲を飲む



夢って何だろうか
このぼくの夢って

子どものときや若いときには
おおきな夢があった
それを初老になったいま
捨ててしまったのか
すでに忘れ去ったのか

いや そんなことはない
いまも こころのどこか片隅に
捨てず忘れず大事にしまいこんでいるはずだ
どこかに・・・

ぼくがしまいこんでいる夢のいちばん大切なもの
それは言葉を紡いで
詩をつくること
今こうして書いているように

他人から見たら
実にくだらん
そんなもんが夢かと言われるにちがいない
でもぼくにとっては
そんなものが夢なんです

詩なんてほとんどの人が読まない
この列島で現代詩を読む人口は500人ぐらいだそうで
1億2千6百万人から見たらマイナー過ぎる程マイナー
でも ぼくはそれは凄いものだとおもう
えーっ、500人も読んでいるのかー

その500人が2倍になり3倍になると
もっと嬉しい
そうすることもぼくの夢のひとつ
だから今なお夢を追い続けている

その夢のために
ぼくは詩を書き続けようとおもう
そして、詩を通じて
夢を売るのです



  六
世界中でここだけにしかない
えも言われぬ美しい花
そんな私の宝物をあなたに捧げます

それは心をこめて 
あなたに向けて書かれ
読まれる

夢の言葉は現実をつくる
えも言われぬ美しい花は
実際、あなたの心に贈られ
喜びと幸せが訪れ
その宝の言葉をいつまでも胸に抱いて
日常を送っていく
そんな夢の言葉をもちたい


 


えっ わたしが誰かって
私は、ちいさなちいさな夢を売るものです
夢を売る詩人です





夢は
迷い
暴走して
壁に当たって跳ね返り
他の夢と衝突して
潰れたり・・
いつしか あらぬところに
吸い込まれ
途中 にぶく光って
プッ と
切れる

残されたとおい昔の美しい
夢の断面
突然夢から覚めたときには




からっぽのくすんだ瓶が倒れている棚
黴臭く閉めきった暗い部屋の
戸の隙間から入る一条の光が
まぶしい
埃が積もった机の上で
ぼろぼろのラジオが
微かに声を発していた
夢を与えつづける
あのときの
※夢は与えられないものかもしれない。あるいは、夢は与えるものでもないと・・・



  十
夢は生まれる
春のういういしい山から
風ふいてオドリコ草が踊り
ホトトギスが歌う
のどかな野原の午後
春の眠り
目覚めた山の
木々の
枝々の先のつぼみから


ときどき夢は
夏に昼寝をし
秋にさわぎだし
冬に眠る


やがて夢は
宙とともに死んでゆく