『感受性のレッスンと想像力のトレーニング1』言葉の展覧会1786

aiueokaki2014-04-06

感受性のレッスンと想像力のトレーニング1



感受性という言葉を想うとき、「ぱさぱさに乾いてゆく心をひとのせいにするな ・・・・・ 自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ」という茨木のり子の鮮烈な詩が浮かんでくる。今日、感受性が豊かなはずの子どもたちに、感受性の不毛という現象が起こっていると学識者は嘆いている。というのは多くの子どもたちが、テレビやネットから、それに家庭や学校や塾等のおとなから知識や情報ばかりが注入される型にはまった惰性的な生活を強いられるあまり、深い喜びも驚きも感じない感動なき毎日を送っているというのだ。としたら、感受性を取り戻さなければならないと思う。が、県下から寄せられた2千人近くの子どもたち(小1〜中3)の詩を読む限り、そんなことはないように思う。いや、不毛の時代だとしても、この列島の津々浦々で詩を書いている子どもたちは、今尚みずみずしい感受性を所持しているんだ、と誇ったほうがいいのかもしれない。ここではしばらく、子どもの詩を感性からの視点で考えてみたいと思う。
 日々私たちは、その時その時の気分で生活し生きている。子どもはそれが露わで素直である。よく泣きよく笑う。また小さなことでも恐がったり、ささいなことでも驚いたりする。子どもの感受性は鋭敏で広く、豊かである。だからこそ突然、激しいものに見舞われることもある。ものすごく腹が立ったり、恐怖のどん底に落とされたり、飛び上がって喜んだりする。あるいは時が過ぎればすぐ忘れるものであるが、深い悲しみに陥って涙したり、どきどき胸がときめいたりもする。感動は詩の源泉であり、原動力にもなっている。子どもの詩がおもしろく強く心を打つのは、稚拙ながらも以上のような 感情の起伏が大きく、幅広く、また直接的であるからだ。それは子どもの生き方そのものである。
 子どもの詩は感受性の上に成り立っていると言っても過言ではなく、子どもたちの生活がみんな違っているように、ある一つのモノやコトを見ても感じ方は千差万別であり、感受性は色とりどりで、いろんな詩がある。その時々の気分や情動を切断して、書き留めておくことはとても大切である。
 だが、歳を経ておとなになって行くにしたがって気分や情動は薄れてゆくようだ。やがて情報ばかりが飛び交う消費生活に溺れ、たんたんと均一的かつ機械的な毎日を送るようになって感受性が弱まり感動なんてものはもうすっかり忘れ去ってしまう。つまり消費や金しか考えない日々の生活に追われて「ぱさぱさに乾いた心」になってゆくのである。ある日おとなは(あるいは自分がおとなになって)子どもの(自分の)詩を読み、感受性の豊かさにおどろき、子どもを(自分を)再発見するときもある。
 ところがおとなになっても、子どもの感動や情操を保持している希有な人もいる。豊かな感性と心を持って、人と接し社会を考えながら楽しく生活を送っている人を何人か知っている。彼や彼女たちの心には、子どもの頃から詩人が住んでいる。この国の未来はまだ救われている。
 さて学校では、情操教育という言葉がたいへんよく使われているようだ。特に教育目標や方法、指導要録に多用されている。それもそのはず学校という共同体や社会においては、時々の我が儘な気分だけではやっていけないし、ぶつかり合いばかりが起こる。その気分や情動を大切にしながらも、社会的価値を備えた、感情の複雑で高次なもの、すなわち情操を養う必要性があるからだ。だが今日、 情操教育や生きる力等と言いながら受験に向けた知識偏重の教育がまかり通って、実際には感受性を養うことは二の次になっているらしい。
 にもかかわらず学校教育において情操を培っていくには、感性のレッスンが一番だと思う。それは国語における詩や綴り方の授業だけでなく、図工・美術や音楽、体育、理科等あらゆる教科において展開されるべきである。特に詩や作文の授業においては、言葉の芸術でもある詩(ポエジー)を中心に置き、日々の生活の中で思ったことや気付いたこと、驚いたことや感動したこと等を書かせたり、お互い読み合ったり、詩人の詩などを読ませたりすることはたいへん必要なことである。見たり、聴いたり、触ったり、味わったり、嗅いだりする感覚を、詩を書くことや読むことによって鍛えることはとても大切である。日記・綴り方のように日常化(習慣化)するならもっといい。子どもはみな詩人である。子どもの詩にはみんなそれぞれ素敵な感受性が見られる。子どもは感受性によって詩を生みだし、感受性によってみんなと結ばれ、情操を培っていく。それは楽しみや喜びにもなり大きな感動を生む場合だってある。
感受性(感動)は子どもの、いや人間の奥深くに隠されている生きることの証でもあるからだ。
 子どものときにしかできない大事な育て方、それは子どもに詩を読ませ書かせることである。書かせなくても、自ら書きたがり書いている子どもはいっぱいいる。より面白く楽しく生きようと内から欲するものがある。
 最後に子どもが書いた詩を整理してあげ、再び発見させてあげること、これが詩集や詩の本(この『子どもの詩と絵』のような)のよさである。書いた詩を読み合う、読んでまた書く。情操はこのような感性のレッスン(作業)を通して培われ、子どもは成長していく。心の成長である。



 ※字数の関係上「想像力のトレーニング」は次回に書きたいと思います。