『 笑いを忘れた男の記』言葉の展覧会1700

aiueokaki2013-11-14

            笑いを忘れた男の記
  




 巷に笑いが流行り過ぎている。流行るわりには心底からの笑いは少ない。あまりにも心が貧しくて、笑いに飢えているからだ。笑いを完全に失った人は自ら命を絶つ。悲しすぎる。こう書き記す今日もこの列島のどこかで、百人近くの人たちが自殺する。おれも死の誘惑が訪れたときがあった。




 ある街に笑いを忘れてしまった男がいた。
 おれはもう何年も笑っていない。あれはいつの頃だったか。あのとき以来、面白いことがあっても、みんなが笑顔でこたえてくれても、笑いの渦の中にいても決して笑えない。勿論テレビのお笑いを見ても、嬉しいことがあっても、誰かが笑わそうとしても駄目だ。とにかく笑えない。どうしても笑えない。・・・・・。ポツンと、おれだけが取り残されているようだった。みんなが、「どうして笑わないの?」と聞いたが、どうしてなのかおれにはとんとわからない。おれは笑いを失くしてしまったんだろうか。いや、失くしたというより笑いはおれには必要がなかったんだろう、おそらく。と、もう若くはない男は無表情な顔をして、かぶった布団の闇の中で言葉を吐き捨てるように独りごちた。




 ヒッヒッヒッヒと笑おう 苦い笑いをぎこちなく笑おう ヒッヒッヒッヒ 卑屈になってこっそり ヒッヒッヒッヒ と笑う奴を笑ってやろう とノートに書くが、おれは笑えない。
 他人の欠点をあげつらい 他人の失敗を見つけて 他人をこけにして 他人よりましだと優越感持って 他人をさげすんで 笑うバカ者を笑ってやろう 世の中にはバカな奴がいるもんだ バァカァカァカァカ 狭い見方、狭い心を笑い飛ばそう バァカァカァカァカ 世のあらゆる悪意を笑ってぶっ飛ばそう バァカァカァカァカ バァカァカァカァカ とまた書いたが、おれ自身はどうしても笑えない。こんな批判めいた皮肉っぽい言葉はいけない。おれは卑屈な馬鹿者だ。自分こそもっとも狭い心なんだろう、おそらく。
しかしこのノートに書き殴ることだけがおれの唯一の希望だ。死から救ってくれた・・・。




 おれは血も涙もない人間なんだろうか。いや、かすり傷をしたら血は出てくる。それに悲しい時には涙も出る。やはり人間だ。少しだけの大脳新皮質があるに相違ない。でも、笑いだけは出てこない。全く笑えない。微笑みだなんて、いったいなんだ?、それは。




 一枚の少女のくったくなく笑った写真がある。古ぼけてセピア色になっているが、二〇年後の今、笑いをとり戻すためにおれはこの少女の話をしなければならない。




 おれは、サリとのことを思い出していた。
 サリはどこへ行ってしまったんだろう。くったくのない笑顔と聡明さのなかにちょっと小悪魔を秘め持った・・・。
今尚おれのこころに深く刻み込まれたサリとの最初の思い出がある。高校三年生の秋。学園祭の準備が長引き、もう辺りも薄暗くなりかけていた。サリとは帰り道が一緒だった。途中で他の者が別れていき、二人だけになった。もう周りは紺色に染まり、木々や人々は薄いシルエットになっていた。まんまるい夕日が山際に落ち、西の空はえも言われない美しい空になった。祭の出し物の話に花が咲いていたが、ふと、真っ赤に染まった夕焼け空を見て、急にサリは黙り込み、おれの手を握ってきた。ぎゅっと、強く。やさしく、やわらかく。おれの心臓は破裂するのかと思うほど、ドックンドックン鳴った。それからだ、いつもサリが傍にいるようになったのは。サリとは、高二、高三と一緒のクラスだったが、ほとんど話さなかった。彼女は貧相なおれにとって高根の花だった。「いつも気になっていたの、あなたのことが」。サリはおれの手を取ってこう告げた。
 あの頃、サリの笑顔でよく救われた。彼女はほんとによく笑った。瞼を閉じると、サリの笑い顔が浮かんでくる。




 フフフッ と笑ってみる ホホホホッ と誰かがつられて笑う それにつられてみんなも笑う ハハハハハハー 笑いは伝染する。
 サリが笑うとおれも笑う。

フフフ 
となにげなくキミが笑う 
フフフ とボクも笑う 
フフフでわかる二人

 あのときは時間が止まり、あらゆるものが充足していた。「わたしたち、笑いで繋がっているのね」とサリは笑いながら言った。笑い合うだけで二人は分かりあえ、溶け合った。



     *
 しかしサリの笑いは次第に途絶えていった。
 卒業後、転勤族だったおれの家族は遠くへ引っ越し、おれも北の果ての大学に行った。地元の大学に通うようになったサリとは離れ離れになってしまった。大学に入ってから一年は、片道を丸一日かけてよく彼女に会いに行った。しかし様々なことにおれは手を出していて時間がとれなかったり、いろんなことがおれの周りで起こったり、また彼女の方も熱中するものができ、予定があったりして会う機会がだんだん失われていった。サリのことは常に気になっていたが、日々の多忙さに追われ、徐々に忘れていった。去る者は日々に疎し。おれは大学院に進んでからはとうとうサリを忘却の彼方に追いやってしまった。そしてお互い、年に一度の賀状を交わすだけの遠い存在になった。阪神淡路大震災直後の神戸で、ボランティアとして粉じんのなかで身を粉にして動き回っていたとか。その後、結婚して 子どももできたとか。年に一度のサリからの便りはあった・・・・・えっ、結婚して子どもが・・・。さすがのおれもこの便りには大きなショックを受けた。仕事が手に着かない。とり戻しに行こうとも思った。眠れない日々もあった。しかし、三か月程経つと熱中する仕事のなかに埋没して忘れてしまった。でもどうして、相手ができたことを言ってくれなかったんだろう。サリとはそんな薄っぺらい仲だったのか。おれも連絡しない時があったからな。それに携帯電話を拒絶していたおれの頑固さもあったし。いや・・・・・。

 そして数年程経ったある年から、ぷっつり年に一度の彼女の便りも途絶えてしまった。それからしばらくして高校の同級生を介してサリの訃報が届いた。サリがなぜ死んだのかは分からない。どんな事情があったのか知らない。
鈍感なおれには全く解せない。・・・・・。
 納得がいかない。どうしても納得がいかない。あの笑顔いっぱいのサリが死んだことが。

 またまもなく、サリの母の訃報が届いた。娘にそっくりの笑顔と明るさの素敵な母だった。サリに会いに行こうとした電車内でばったり出会い懐かしさで話に花が咲いたことを思い出した。あの母娘はどこへ行ってしまったんだろう。ある時、ふっと意識の底からあらわれて。笑ってくれるサリと彼女の母。何があったんだろう、いったい。
 おれはサリが亡くなってはじめて、彼女がこの世にいてくれたことの大切さに気付いた。サリとは地理的にも時間的にも遠く離れていたのになぜ、こんなに近くなったんだろう。遠く離れていても会わなくっても年に一度の便りだけでも、サリはおれの支えだった。心の片隅のどこかにサリがいて、仕事に行き詰ったり人間関係上から辛いときや苦しかったときには救ってくれた。サリは不甲斐無いおれにとって初恋の人でもあり、永遠の心の恋人でもあった・・・。

 サリ、もう一度会いたいよ。会ってきみの笑顔が見たい。




 サリが亡くなる少し前だったか、彼女は短い手紙をおれにくれた。彼女と会わなくなってから初めての、そして最後の手紙だった。
「笑いを忘れてしまいました。
あなたと笑いあったあのときに戻りたい・・・・・」
 どうしておれは気付かなかったんだろう。どうして・・・・
 サリは死んだ。たった一度だけくれた手紙の最後の行の言葉を残して。「笑いって何でしょうか」。
 それからだ、おれが笑えなくなったのは。そしてサリのいない世界でもう生きていることはどうでもよくなって自ら命を断とうとしたときもあった。死んでしまえばどれだけ楽になったことだろう。が、死ねなかった、弱いこのおれには。




 笑いとは何だろう。いったい。
 あれからおれは笑いを考えるようになった。サリの問いに答えるために。それは苦しい辛いときだった。おれは考察するのは苦手なので、徒然なるままに笑いのことをこのノートに書いている。書く、書き殴る、書き続ける。書くことはおれにとって生きる糧だ。
 おれには未だサリが心から離れない。あのサリのやわらかな手と笑い顔が。




 笑いを売る人がいる。笑われる人。笑われる役を自分で買って出る、それを仕事にしている人。いま大流行りだ。優越の笑い。不調和や差別の笑い・価値逆転・低下の笑い。協調の笑い。防御の笑い。攻撃の笑い。価値無化の笑い。期待充足の笑い。本能充足の笑い・・・・・・ そんな笑いを売る。笑いを見る。笑いを楽しむ。
 だが、一度笑ったものを二度目はそれほど笑わない。
 裏が読めると、笑いは落胆や失望に変わるときもある。笑いはいつまでも売れない。その時代時代についてまわる。しかし、笑いが売れなくなっても何度も何度も同じことを繰り返して笑いを誘う稀有な人もいる。笑いを売るとはなんだろう。いま、お笑いが流行っている。  




 笑いにもいろいろあるようだ。おれは最近出会った、こんな笑いが好きだ。
 6階の廊下窓から下を見た。家、家、家また家、家がびっしり詰まっている。人口減の中でも逆にこの市は増えていると言われているように、遠くの山を見れば、頂上の方まで家がひしめいている。そんな一つひとつの家に、それぞれの人々の営みがある。おれもそのなかの一人なのだが。
 談話室&食堂には、白髪の老婦人ばかりが7名、大きなテーブルの周りを椅子や車椅子に座ったまま、ただじっとしている。この部屋は動きが、いや時間が止まっているようだ。
何を思っているのか、みんな目が虚ろである。一瞬ここは、重度の老人ホームだと勘違いした。そんな病院に、岸本おじさんは二人部屋で、口をぽかんと開けて寝ていた。
サカモトさん(というより、サカモトさんの彼女)からのメールを見て、慌てて見舞いに来たのだ。おれが入り、立ってみると、岸本おじさんは気配で目を覚まし嬉しそうな顔をした。顔色はそんなに悪くはない。挨拶などを交わしていると、看護師さんが入ってきて、処置をするので外してください、と言った。おれは病室を出てうろついた。談話室&食堂を通りかかると、老婦人たちが入ってきた看護師さんの方を向いて談笑していたので、ほっとした。それからしばらく、廊下から窓外を眺めていた。
 処置は終わったようだ。看護師の持つビニール袋におしめが入れられていた。岸本おじさんの傍へ行ってしばらく話をした。腸梗塞になって緊急入院したそうだ。一週間経った今は治療の成果でもう治りかけているらしい。いつもの岸本おじさんだ。世間話もした。
ときどきケラケラと笑う。つまらないことを言っても大げさにケラケラと笑う。くったくのない笑いである。おれはこの笑いが好きだ。
 そうこうしているうちに、看護師さんが昼飯膳を持ってきたので、おれはベッドを上げ、食べさせてあげた。4つのお椀のふたを開けて口の近くに置いた。渡したスプーンで、岸本おじさんはぎこちなく、おかゆや大根煮を食べる。わかめの味噌汁は飲ませてあげた。
3分の2ぐらい食べたところで、岸本おじさんはスプーンを置いて言った。「おいしかったわ」
 岸本おじさんとはしばらく会わなかったが、相変わらずだった。重度の障害を患い、立つことも這うこともままならないおじさんは、誇っていたちりぢり毛も白髪になり、薄くなっていた。
 それにしてもベッドの上でおじさんはよく笑った。「もう死ぬ」「もうあかんわ」と口癖のように言いながら、元気な笑い声で、ケラケラケラ。二〇年程前からずっとこれだ。
 明日の夕方、また来ます、とおれは言って病院を出た。サリ、今宵はステキだよ。




 笑いは、人間が培ってきた最高の感情である。と、おれは本で読んだ。そうだろうか。いや、そうであるかもしれない。サリ・・・・。


 

これも転機になったと、今になって思う。そのきっかけは、ささやかな紙片に書き綴ったものだった。
 いつだったか、こんなメモを見つけた。たしかにミミズの這ったようなおれの字だ。テレビを見たときのメモなのか、雑誌を読んだ時のメモ書きなのか。どうしてこんなことを使い捨てられたプリント紙の裏に書いたのだろう。
「極限の中で生き抜く知恵と笑いの力」
「笑いに飢えた北朝鮮の国民」「自分にとっての笑いの意味は、生きるための息継ぎのようなものだった(蓮池薫)」




 新聞によれば、こうだ。一九七八年、出身地の新潟県柏崎市の海岸で北朝鮮工作員に拉致された蓮池薫さんは、「笑い」をテーマに講演した。新潟市で開かれた「日本笑い学会」で、二四年に及んだ拉致生活で笑いを糧にしてきた体験を語った。演題は『極限の中で生き抜く知恵と笑いの力』。
 「娯楽の限られた北朝鮮で、笑いに飢えた国民がささいなことで大笑いする光景も見たという蓮池さん。自らにとっての笑いの意味を、生きるための『息継ぎのようなものだった』と表現した。・・・・・ 二〇〇二年一〇月に帰国したが、北朝鮮に残した長女、長男との再会までの約一年半はテレビを見てもマンガを読んでも『笑う気分になれなかった』と日本での苦悩を明かした。」(朝日新聞二〇一二年九月四日号)
 おれはこの記事を発見し、何回も読んだ。読むという力はこんなところにもあった。サリ、笑いはきみにとって生きるための息継ぎだったんだ。その息継ぎが無くなってしまったので、おれに助けを求めた・・・・・




 おれは笑いというものが少し分かってきたように思う。というより、笑いを少しずつ思いだしてきたのだ。すっかり忘れていた。いまおれは、赤ちゃんの時や幼い時によく笑っていた記憶がよみがえってきた。それに伴って、徐々に人間になってきたというか人間をとり戻したというか、とにかく笑える人間になったようだ。
じゃ、笑ってみようか。はっはっは、ひっひっひ、ふっふっふ、へっ、駄目だ、笑えない。そう簡単には笑うことはできない。笑いへの苦悩。
サリ、きみは笑いだった。




 いまおれは、笑いを受け入れている。きみに謝り続けても謝れないんだけれど、こんな馬鹿なおれを許してくれるかな。いや、許してくれないほうがいいのかもしれない。
 サリ、笑うって難しいね。
 家から駅へ向かう数分の間に、二人の人に出逢った。ニコニコして自転車に乗るおじさんクスッと思い出し笑いをして歩く若い娘。渋顔をしていたおれに、二人の笑顔が溶け込んだ。今日はなんかいいことがありそうだ。




 クァクァクァ とワライカセミが笑った それを聞いていたヒトも笑った クァクァクァ
 そうだ、人だけでなく他の動物も植物も笑うんだ。「笑いは人間だけ」とベルグソンは言った。が、それは嘘だ。おそらく、きっと。




ただ人間も笑うことができる存在なだけだ。苦い笑い、ぎこちない笑い、夜の笑い、復習の笑い。人間にはいろいろ暗くて陰湿な笑いはたくさんある。しかし、そんな笑いはリセットだ! 打ち直して、明るい笑い、無邪気な笑い、快い笑い、自信と健康から湧き出る笑いにヘンシーン!する必要がある。みんなで笑い合おうというので、昔から笑い祭りや笑い講なんてものがある。落語もそうだ。
 笑い祭りで、オコゼを見て笑おう ワッホホワッホホ 笑えないけど笑おう ファファファッ不平不満不安を 吹き飛ばして笑おう 笑う門には福来たる みんなでワッホホワッホホ笑おう
 笑い講でも笑おう会でも笑いヨガでも 落語でも漫才でも喜劇でもお笑いバラエティでも 生活の暇知恵を笑おう ゲタゲタゲタ 笑っていがみあいやけんかを止め みんな仲好くなろう
 勝った!!と言って笑う 高らかに笑う 誉めたたえる周りを見回して笑う よくやったと自分を褒めて笑う この瞬間の笑いという喜び
 ハハハハハハ おまえらアホちゃうか と言って笑おう ワテもアホや言うて笑おう ハハハハハハ 笑うアホウが ハハハハハハハハハハハハ




 笑いって最高だな。何を笑うかによってその人の人柄や情態が分かるぞと呟いて、いつしかおれはニコニコ顔になった。サリ、きみが戻ってきた。死んだきみがおれの内で甦った。きみは確かに笑いだった。



     *
 おれはノートに、へたでべたなきみへの詩を書いた。サリ、楽しいよ。



雲が笑う
そよ風がふいて
木の葉がさわさわと音をたてた
その伴奏に小鳥たちが歌った
あの日 
あなたは大きな木を見上げて真っ白な歯を見せた
草の上の手はつやつやと
足はすらっとのびやかに
あなたのすべてがかがやいていた



あの日
なにもかもがかがやき
あなたは心の底から笑っていた
ぼくにも笑いはうつり
ぽっかり浮かぶ雲が笑いをすいこんだ



いま
あの日のように雲が笑っている
広い広い青空のなかで




 朝、おれは出勤途上で赤子を抱いた若い母親に出会った。
   
母が赤子をみつめて笑う
赤子も母をみて笑う
母はほほえむ
赤子はほほえむ



いつしか
いつまでも赤子は笑う
それを見て辛く悲しかった母はかすかに
一瞬笑う



母が赤子をみつめて笑う
赤子も母をみて笑う
母はほほえむ
赤子はほほえむ



母子の微笑みをもらった独身のおれも、こころから微笑んでいた。おもわず歩くおれの足は軽やかになった。
サリ、嬉しいよ。きみといるから。