『まちー「宝塚」の夢』言葉の展覧会1598






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         まち「宝塚」の夢



 今年いっぱいでガーデンフィールズが廃園になるそうだ。また「宝塚」が薄くなっていくなあ、と溜め息がでる。ファミリーランド(その前は宝塚動物園)が無くなり、百ぐらいあった温泉が3軒になり、宝塚歌劇も梅田移転の話が聞かれるようになってきた。どんどん「宝塚」が消えていくような寂しい気分になる。宝塚に生まれ育って何十年も経ったが、見た目は清潔で綺麗になったのかもしれないけれど、あの夢と希望を与えてくれた「宝塚」は、あの賑わいは、あのワクワク感はどこへ行ったのだろう、と悲しくなる。名前だけの「宝塚」・・・。いまや宝塚は「宝塚」というブランド名だけでもっているのではないだろうか。
「宝塚」が小林一三によってつくられたときは、全国民みんなこぞって富国強兵へ、戦争へと突っ走っていた暗い時代だった。しかし当時、宝塚はモダニズムを生みだし、生活を重視した明るいワクワクの場である。特に女性や子供たちが心をときめかせた。手塚治虫少年はそんな宝塚で育ち、マンガを描いた。宝塚映画やシャンソンも芽生えた。もっと古くは木接太夫による植木もそうかもしれない。
 このように「宝塚」は伝統的な見地からみれば、いろんなブランドを持っているまちである。「歌劇」や「映画」、「手塚治虫」、「シャンソン」だけではなく、もっと古い山本の「植木」がそうである。上佐曽利の「ダリア」、それに長谷の「牡丹」だってそうかもしれない。また人材では、一昨年亡くなられた「元永定正」、去年亡くなられた詩人の「杉山平一」、そして現在活躍中の小説家の「有川浩」がいる。これらのいくつかは忘れられるか知らないかで、発信や観光からみればあまり生かせていないように思う。それらをガーデンフィールズ跡に生かせないだろうか。
 こんな夢を見た。 
宝塚に住む人たちは、世界中に自慢しているものがある。それは市民や世界中の訪問者が毎年春夏秋冬に必ず参加する「宝塚ワクワク歩こう会」。宝塚駅から花の道を通って、宝塚大橋を渡り宝塚南口駅を抜け、月地線を歩いて宝来橋から元にもどるプロムナードの散歩である。宝塚市はそのエリアを焦点化して特化点をつくり世界に発信したのである。そこには、「花のみち」ゾーン→「植木・ダリア」ゾーン(園芸を生かしたガーデンフィールズ跡地の中に、宝塚モダニズムをあたため、大震災を鎮魂して再「生」を願う現代美術館〜元永定正作品常設〜・「杉山平一」「有川浩」文学館・市民会館)→「宝塚歌劇」ゾーン→「手塚治虫」ゾーン→武庫川中州「生」ゾーン→「月地・宝塚南口」芸術店ゾーン→「宝塚温泉」ゾーン があり、1日ゆっくり参観しながら歩いて、それら宝塚の藝術文化に浸るのである。これは「宝塚はアートのまち」という視点から、「宝塚」の焦点化のひとつを考えてみた結果つくられたものである。アート(藝術文化)はまちをつくり、まちを変え、育てるというコンセプトであった。まち「宝塚」をつくった小林一三の再創造である。そして、このデザインや催しは自治会・まちづくり協議会や商工会議所や文化財団、それに阪急を中心に市民や行政が市内一斉にこんな「宝塚」ビジョン統一のもとに動き出した賜物であった。(このような特化は、「西谷」や「清荒神」、「売布・宝塚映画」、「中山寺」、「山本・植木」、「雲雀ヶ丘花屋敷」「逆瀬川」「小林・仁川」等でも考えられつつある) 私は宝塚に住んでいるのが誇りで、もう毎日が楽しくてしようがない。  
これを読まれたみなさんも、宝塚に抱いている夢をお持ちでしょう。そんな夢を寄せ集めて、素敵なまち「宝塚」をつくってみませんか。その再創造のメセナになる人はいませんか。
           仲清人 『ウィズたからづか』4月号掲載





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