「さらば、『一人一人』」言葉の展覧会462

aiueokaki2008-02-24

一人一人を大切に
一人一人がもっている価値
一人一人がつくる社会
いつからこんな考えが常識になったんだろう


そもそも<共>だったはずのものが
<一人>に変換されているトリック
<一人>占めの所有が大手を振って歩いている
個の「利」が肥大して自己矛盾を生み出し
ジコチュー、オレ様化
いまや手が付けられないものに
<共>がつくったものは
やはり<共>へ
さらば、近代人常識
さらば、<一人一人>



※『さらば、”近代民主主義”』アントニオ・ネグリ(作品社)




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    阪急電車


 先日、ひるあんどんさんからほんとに久しぶりに(数年ぶりに)便りがあった。
                   2008年 2月14日(木)21時45分45秒
「お久しぶりです。あいうえ師匠。また迷惑メールが増えてまっせ。
有川浩阪急電車』(幻冬舎)を思わず買ってしまいました。阪急今津線を舞台にしたラブ・ストーリーです。皆さんも、よろしければどうぞ。」


 『阪急電車』と言えば、ああ新聞にも広告が出ていたな。めずらしいな阪急電車が広告だすなんてとよく見てみたら、それは小説のタイトルだった。身近な題材でなんかおもしろそうだし読んでみたいなとその時思ったが、すっかり忘れていたのだ。


 それからしばらくして、大野良平さんからこんなメールがあった。
「・・・・・・ 話し変わりますが先日、知人から面白い本を紹介してもらいました。
有川浩(アリカワヒロ)著「阪急電車」冬幻舎
宝塚〜西宮北口までの今津線が舞台になった恋愛モノ?
数年前に河原で作った「生」が見事に登場します。
なかなか上手く描写されていました。
45万部突破とか・・
機会あれば。」


 えっ、あの「生」が出ている?!
 そして一昨日、また大野さんからこんなメールをもらった。

「・・・・・ 今日、ひょんなことから関西テレビの取材を受けました。
> > >先日、メールでおしらせしたと思います。
> > >有川浩さんの小説『阪急電車』(幻冬舎)の絡みです。
> > >今津線を舞台に織りなす人間模様。
> > >そのなかで、電車から中洲の『生』を見て出会うカップル。
> > >小説では縁結びの謎の中洲として登場し、
> > >消滅するところまでしっかり描かれています。
> > >じつに著者もこの『生』を見て『阪急電車』を書くきっかけになったとか。
> > >取材では、宝塚大橋から見た今は無き中州を前に
> > >当時の制作エピソードを語れといったもの。
> > >まるで俳優気どりであの橋のたもとから歩いきてほしい、
> > >次の電車が高架を渡るまでずっと中州を眺めていて欲しいと
> > >結構クダラナイ注文が多く少々疲れました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
(Sent: Friday, February 22, 2008 5:47 PM)


 だもんで、興味津々今日早速買って読んでみると、やっぱり「生」が出ていた。
 『阪急電車』は、阪急今津線電車紀行・人間模様ラブストーリーといった感じだ。次から次へと主人公や登場人物が変わっていくが、それらがみんな繋がっているという伊坂幸太郎的手法もなかなかいい。
 <中断> ※酒を飲んでいるので(この「言葉の展覧会」を書くときはいつも飲んでいるが)眠くなりました。続きはまたこんど。


   ******************(2月25日23:00)
 さて、つづきです。仕事から帰るやいなやいつものように一杯やって、ご機嫌で眠たいです。
 有川浩さんの小説『阪急電車』は、阪急・宝塚から西宮北口まで、電車の中やそれぞれの駅で織り成す何組かのカップル恋模様である。そこには、出会いもあるし、別れもある。今津線の駅だけでなく初々しい恋を俯瞰的に描写しているところが面白かった。そう、脇役的にもっとも面白かったのは、「甲東園」での女子高校生たちの「えっちゃんの年上の彼氏」の会話(実は実話だそうです)や「西宮北口」でどかどかやってきたどあつかましいおばはん連中(いるいるこんな恥も外聞もない人等)の落語的お話だ。おもわず吹き出してしまい、飲んでいたビールが口から吹き出た。その他、寝取られ女の翔子が宝塚ホテルの寝取り女の結婚式で復讐をはかり呪いの願をかけるが、車内での時江の助言(「逆瀬川駅」)や「小林駅」で途中下車したときのいろんな出会いや発見によって癒やされていく物語。すぐキレて暴力を振るうサイテーの彼と別れの覚悟を「仁川駅」でするミサの話。等々が阪急電車でみんな繋がっている。片道わずか15分であるが、さまざまな人間模様を乗せて走っている。ちょっと考えさせられたのが、小学校2年生の子供たちの仲間外し(いじめ)の光景である。それが例のどあつかましいおばはんたちに繋がっていくような感を受けた。作者の女(集団)を見る目は鋭い。
 阪急電車今津線はよく乗るので、書かれている情景が手に取るように分かる。電車内での、それぞれの駅での「行きずり」の楽しさはぼくも味わったことがある。いろいろ思い出しながらかる〜く、ビールを美味しく飲みながら楽しみながら読めた本だった。


 さて、「生」である。
 武庫川の中州にある、石で積まれた大きな「生」。この小説では、「縁結びの神様」になっていたのだ。最初の征志の連想「生」ビールもよかったが(そういえば、関学のS教授も「あれは”なま”に見える」と言っていたなぁ)、「縁結びの神様」になるとは思ってもいなかった。
 あの「生」はかたわれである。
 ほんとは「宝塚現代美術展・店」のテーマに合わせて、現代美術作家の大野良平さんがもうひとつのかたわれである「?」をつくろうとしたが、力つきたのか中州のスペースの関係だったのか「生」だけになってしまったのだ。冷たい風がびゅーびゅー河原を吹き抜けるあの冬の寒い日、大野さんは実にたくさんの石を積んで「生」の骨格をつくっていた。ぼくらはそれを見て、もっと積み上げようということになった。流れる川の水の上に石を置いて渡したり、落ちていた板をつなげたりして中州に着いて、石を積み上げていった。辺りの大きな石を拾ってきては積み、積んでは拾いに行った。ただ黙々と。
 このようにしてできあがったのが、『阪急電車』に出てきた「生」なのだ。小説では、「イタズラ」とも書かれていたが、これは大いなる「イタズラ」かもしれない。記憶の「イタズラ」・・・・。
 もう一つのかたわれ「?」は、謎にしておこう。


 では、もう眠くなったので。
 有川浩さん、「生」を呼び起こしてくれてありがとう。
 おやすみなさい。



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※「生」→http://www.jttk.zaq.ne.jp/baatp100/art/tenrankai/sei.html