宝塚アートプロジェクト

aiueokaki2005-07-02

  9:30より「宝塚アートプロジェクト」の会に参加。関西学院大学のS教授、事務局になった吉田さんら関学生、市役所の都市開発課(だったかな)のM部長さん、アートサポートの山田さんと深沢さん、福祉の浜口さん、そしてわがTA*COから大野良平さんとぼく、13名が交流・連携と今後の企画について話しあった。
 いったい都市再生というのは、どこまでやったら再生になるのか、と関学の授業のなかで学生から質問が出たそうである。M部長さんは、それは「にぎわい」をつくることだという。でもそれは住宅地化の中で廃れてしまった「宝塚温泉」でなく、「新しいにぎわい」(人の循環を活性化)をつくることだ、それを学生さんら(特に関学生、宝塚造形芸術大生、甲子園大学生)若い人に期待したいと言われた。

 1970年に宝塚は旅館が60軒あり、芸子さんが通ったりして温泉情緒漂う街であった、それが高度経済成長、バブル、阪神大震災を通して今では2,3軒しかない、私は今、この宝塚の陰りを何とかしなければならないと焦っていますと山田さんが当時の写真をみんなに回覧しながら言われた。ぼくも同感である。1970年、あの時ばくは学生で、宝塚の旅館街をうろつき回っていた。入り乱れた温泉情緒漂う通り、おもろい店や遊び場の数々、ダークサイド、・・・歩いているだけでも楽しかった。よくぶらぶらした。ばくは「宝塚温泉は消滅寸前なのだが、大阪の永堀長屋のようにその文化を残し、生かすのがアートの役割だと思う。それで何か企画をしようとすれば規制ばかり(6.5フォーラムの時のような)で、資金は全く出してくれない。でも他の所では資金を使っているのに不平等じゃないですか」等というようなことを言った。10月から11月にかけて「社会実験」をするという。ぼくにとってこの時期は一番忙しい時だ。

 この「宝塚アートプロジェクト」は、都市再生のためのプロジェクト(6つのプロジェクト)で、唯一宝塚市民からの提案した(大野さんとぼくが)ものである。それに山田さんらアートサポート等が加わって、宝塚をアート芸術・エンターティンメントとして都市再生に向けてそれぞれが独自活動をしながら交流・連携していこうとするものである。

 帰りながら山田さん、大野さんと話をした。「本気でこの宝塚を何とかしようとしている人は少ない」「なんだか仕事だから、単位をもらえるからということでやっている人が多いのでは」。まぁ、この宝塚アートプロジェクトは試行錯誤、紆余曲折があったが、つくられて1年も経っていないのに少し地盤が固まり、広がりつつあることは評価しなければならない。関係のS教授、M部長さん、それから事務局をこころよく引き受けてくれた関学生の吉田さんには敬意を表する。




※写真は、メタモルフォーゼ3人展での生演奏風景。バックには自作品が映る。